昔見た妄想(夢)の話

 2015年の8月に自殺しようと睡眠薬を致死量飲んで入院した。恋人を喪くしたことがショックだったのか薬の離脱かわからないけれど、1ヶ月程意識が朦朧として夢か現実かわからない妄想をたくさん見た。今でもよく覚えていて最近になってあんな体験二度としないのではないか?普通夢とか妄想とかいうのはすぐに忘れてしまうのではないか?と考えるようになったので、まとめて公開したいと思う。もちろん現実味のない支離滅裂な話なので人の夢を聞くのが好きな人は楽しいかもしれない。

 

・どこにいるのかわからない

目が覚めた時自分が自殺を図った記憶がなかったので交通事故にでも遭ったんだと思った。しかも佐渡島だと思っていた。その後医師から経緯を説明をされてとりあえず東京のどこかの病院に入院してることを認識した。

 

・被毒妄想

OD後だったので体のために一切薬を飲ませてもらえない。しかも私はかなりベンゾジアゼピン中毒者だった。それなので三日間全く眠れなかった。そうしたら、ここの病院の医者はヤブ医者ではないか?患者に覚醒剤を打っている。ツイートしなくてはと妄想でツイートをした。三日目の夜に初めてジプレキサザイディスを処方されたが、毒だと思った。殺されると思ったが状況が辛かったのでもう死んでもいいやと思って飲んだ。10秒くらいで寝た。

 

・字が読めない、書けない

大部屋に移動して親がお見舞いに来るようになった。そして又吉の花火という小説を買ってきてくれた。暇だから読むのだがだんだん文字が読めなくなっていく。単語がバラバラになってしまい文脈が繋がらなくて理解できないようなかんじ。そしてノートをもらったので日記を書こうとした。しかし漢字がわからない。親不孝と書きたかったのに親という漢字が書けなかった。

 

・ブランコ

意識が朦朧とするようになった。ブランコに乗っているような体感感覚。楽しい。

 

・病院を抜け出す

恋人が2chに実名を書いた人物を階段から突き落として復讐した。恋人は赤いワンピースを着た元カノと逃走した。私は高円寺で珈琲を飲んで病院に戻った。それなので看護師に脱走したことを怒られると思ったが何も言われなかったので、「昨日私はここに居ましたか?」と聞いたら居たと返された。

 

・鳩と通信

深夜枕元がうるさかった。機械音がしてこれが聞こえる人は鳩と通信出来ると気付いた。この病院は意地悪なので鳩を追い払っている。朝まで鳩と通信しようとしたけれど鳩は来なくて、普通に朝食が運ばれてきた。

 

・焼却場に飛び込む

医者に毎日なぜ自殺しようとしたのか思い出させようとさせられた。顔や足にはなぜか火傷の跡があった。だから実は恋人は生きていて焼却場に飛び込んで助けようとしたんだと思い出したので、ナースコールをしてその話をしたら呆然とされたのでなんだか悲しかった。

 

・宇宙のヴェールを越える

病院は宇宙にあって定期的に来る宇宙のヴェールを越えなければならない。その時きっと過呼吸か何かで苦しかった。それを宇宙のヴェールのせいで苦しいんだと思っていた。ナースコールをして落ち着かせてもらった。お見舞いに来た家族に「さっき宇宙にいたんだよ」と話してiPhoneを借りて宇宙医療と調べたけれど、よくわからない記事しか検索結果に出なくて少し冷静になった。

 

LSDの雨が降って来る

LSDは私の知っている限り紙だ。でもその時の私はLSDが緑色の液体か何かだと思った。降って来たので逃げようとしたらベッドを動かないように看護師に注意された。

 

・反対の体感感覚

夜中目覚めたらとんでもなく苦しかった。自分は喜びや楽しみや快楽、そういったものが全て苦痛に変わってしまう。ピアノの鍵盤の一番右が幸せな感情や体感で一番左が真逆である。普通の人はそういう風に感じるけれど、私は鍵盤が反対になってしまったんだと思い込んだ。部屋を出て看護師に泣きながら「助けてください!」と言ったら「ここは病院ですよ」と言われた。

 

・校長に怒られる

実は病院の院長と自分がいた大学の創始者が同じだと思い込む。大学の創始者は外国人なので英語で話しかけて来る。ベッドの向こう側に影があって親不孝なことをひたすら責められるので土下座して謝る。それでも私の英語では通じないので殺そうとしてくるから逃げた。次の日踏むとナースコールが鳴るマットが敷かれて、ベッドから動かないように厳重注意された。

 

・恋人が生きている

恋人は世間的に死んだことにして実は若い彼女と東北に行って梨農園か何かをやっていると知った。私は完全に振られたのだと思ったので親に「お見舞いに来てって伝えておいて」と言った。親は辛かったと思う。

 

・おじいさんとおばあさんの話

童話のようなものを見た。おじいさんとおばあさんがいろんな仕事をして生きていく。薬物を売ったりする。娘も見世物屋に売ってしまった。人は生きるために働くんだなあと思った。

 

・妄想ツイッター

ツイッターを見ていた。他の精神病院に入院しているフォローのツイートだ。ツイッタラーたちとオンラインゲームをした。二週間後くらいにiPhoneを持っていないことに気が付いた。

 

 今でも覚えていて文に起こせる妄想(夢)はこれくらいである。自殺未遂の後遺症で腕の神経に激痛が走っていたので常に苦しさがあったのだと思う。あと、親にとんでもなく申し訳ないことをしてしまったという思いが強かったから妄想(夢)によく表れた。薬はジプレキサザイディスのあとセロクエルに変更になり、それでも良くならなかったのでレボトミンになった。そうしたら頭の中のもやが晴れて妄想(夢)は消えて現実がわかるようになった。レボトミン様様である。

 改めて、もうこんな体験はしたくない。そして親孝行をしようと思った。

 

 

インターネットが上手に使えない

 私がインターネットを始めて10年くらい経った。インターネット2.0とかいう言葉もあって、SNSが出来てインターネット環境は大きく変わったと言われているけれど、私はインターネットが上手に使えないとずっと思っている。何にも考えずに承認欲求に駆られてTwitterを更新し続けた時期もあったけれど、あれはSNS依存症だしやっぱり上手に使えていなかったと思う。

 Twitterは140文字しか書けない。そしてパワーワードというものがよく好まれる。事象を簡略化して面白おかしくしたもの。私はその簡略化という過程が好きじゃない。簡略化するには色々な物事をカテゴライズしなければならない。確かに伝えたい側はなんとなくこういうモノ、人を簡単にまとめられて楽だ。でも読んでいると雑に扱われているように感じる時がある。"主語がデカい”と言われるものはまさにそれである。140文字で物事の本質が伝わるか?と言ったら伝わるわけがない。だからTwitterで何かを変えようだとか、特に他人の意思を捻じ曲げようだとか、そういうのは全部くだらないなあと思う。簡略化された文章をずっと見ているとなんだか疲れてしまう。情報処理が下手な私の脳は◯◯さんがいいねしましたとか、よくわからない広告だとかを流し読みでスルー出来ない。私がフォロバを全然しないのは別にFF比率を気取りたいわけじゃなくて、単純にこれ以上情報処理しきれないし、フォローしているのに見るひとだけリストに入れるなんてやり方は申し訳ないと思うから。

 嫌いな人のツイッターに張り付いたことがあった。不幸になればいいのにと思いながら毎日見ていたけれど、ある日、この人がなんてツイートしたら私は満足するんだろう?と思った。幸せそうにしていたらもちろんむかつくし、でも辛そうにしていても自業自得じゃない?みたいに憤ってしまうし、私が得することってないなと気付いた。馬鹿とか気持ち悪い人なんてインターネットを探せばいくらでもいるので、そういう人をわざわざ探して見ては文句を言っていると、自分の存在を忘れた神の視点から独善的に人を批難するようになってしまってたぶん人格が歪む。まあそうして暇を潰したいなら勝手にすればいいけれど私はやらない。インターネット倫理が必要だと思う。必要だと思うというか学校で教えて欲しかった。インターネットによって人類は変わってしまったしこれからも変わってゆくのだから、明確なインターネット説明書が必要で、学校ではオンライン道徳の授業をやって欲しい。

 少しSNSから離れるけれどググることについて。私はググることがすごく嫌いだった。「わかんないから教えて〜」と聞くことが私にとって一種のコミュニケーションで、話しかけるきっかけでもあり、人に教えてもらうことが好きだった。寂しかったんだと思う。ここ最近事業を始めてとにかくひとりでググり続けている。専門的なことは本も読んだ。そうして初めて情報には価値があってそれ相応の対価を払わないと大事な情報は得られないんだ!という大発見をした。だから私は今まで色んな人が経験や労力を積んで得た情報をタダでふんだくって最悪な人間だったと今痛感している。

 インターネットが上手に使えるようになりたい。せめて情報の取捨選択が上手になりたい。最近はアップルがカテゴリーごとに時間制限をかけてくれたり、iPhoneでの活動記録をよくつけてくれるのでかなり助かっている。でも本当は何も知りたくない。自分より幸せそうな人もやばい人も悲しいニュースも厳しい社会の現実も何も知りたくない。かわいい犬とか綺麗な風景とかだけ見て生きていたいけれど、ニュースくらい見ないと世間知らずになってどんな目に遭うかわからなくて怖いから、難しい時代だとつくづく思う。知ることは辛いけれど知らないことは怖い、という葛藤で心が覆い尽くされて、やっぱりインターネットが上手に使えない今日この頃。

メンヘラが宗教に癒されるということ

 

 結論から言うと、私は宗教はメンヘラの癒しになると思う。

 私は何かの宗教団体に属しているわけでも特定の宗教の信者でもない。たまたま幼稚園がキリスト教で大学もミッション系、親族も自身も仏教徒でお経が唱えられる葬式にしか出席したことがなく、キリスト教と仏教、どちらにも親しんできたように思う。改宗しろだとか出家しろだとかいう記事ではないし、洗脳されやすかったり、思考が働かずに弱っている状態で宗教団体に近づくことはむしろ危ないのでご留意願いたい。ただ知っておくといいよ、ということを伝えたい記事である。(「宗教」という単語を使いながらも、三大宗教のイスラム教にはこの記事では全く触れないのでご了承願ください)

 宗教がメンヘラの癒しになると言える根拠は、第一に知ることである。二つの宗教が目指すものは全く異なるが、その宗教を知る上で必ず触れるであろう人間が持つ悩み、それらは共通しているし時代が変わろうがそう簡単に変わるものではない。どういう時代背景で、どういう文脈で悩みが語られ説かれるかはそれぞれだが、自分が抱えている悩みは時を超えた万人共通のものなのだと知ることが大切だと思う。自分の悩みが理解されないと人は不満を抱きがちだが、だいたい聖書か仏書で説かれている。

 例をあげると、私は仏教の概念である「愛別離苦」という言葉を知った時にすごく安心した。「愛別離苦」とは、人間を愛しても色々な理由で離れる時が来る、結婚に至り生涯を共にしようが最終的には死別するので苦しい、ざっくり言えばそんな意味だ。この言葉を知った時、自分の失恋の悩みなんてちっぽけでありふれているんだ、と宇宙と自分の悩みを比較した時の慰めに似たものを感じた。

 第二に、見えないものに身を任せるという行為だ。キリスト教は神に祈る。仏教は禅や瞑想をする。少し話が変わるが、12ステッププログラムという依存症の治療でよく使われるプログラムのステップの一つに、「ハイヤーパワーに身を任せる」というものがある。依存症患者は不安を感じやすく、また感情や行動をコントロールするために依存物質に頼りがちだ。例えば、面接の前に不安を感じている。依存症患者は不安を消そうと物質を使う。こういった行動をなくすために「ハイヤーパワーに身を任せる」のだ。「ハイヤーパワー」とは目に見えないこの世の流れを決めるもの、神、運命、宿命、私はそういう風に解釈してる。その行為は、キリスト教の神様へのお祈りでも、仏教の解脱への祈りでもいいと思うのだ。大事なのは不安、恐怖、憂鬱などを感じた時に、病的な行動に移さないことであって、また、衝動性というのは30分で収まると言われている。その時間を確保することは大きく病状を変えると思う。慢性的な負の感情に対しても僅かな息抜きにはなる。

 第三に、理想郷だ。メンヘラは機能不全家庭の育ちや認知の歪み故に厳しく辛い世界で生きている人が大半だと思う。その環境の中で心は荒む。キリスト教では天国、仏教では涅槃、と目指す先が異なるが理想の世界がある。その理想郷に心を浸す時間というのは安らぎになるのではないか。また、その世界に身を浸している時間が長ければ長いほど常に心の中にあるような、そんな錯覚を人間はするものだ。自分の人生では想像が不可能な苦しみのない世界を知るということは、その世界の存在の有る無しに関わらず心を豊かにする。

 この三つの根拠から私はメンヘラが宗教に親しむことは良いことだと言いたい。Wikipediaを読んでみるだとか単語をググるとかそんな程度で良いと思う。宗教にある意味薄っぺらく触れていいのは無宗教が多い日本人の特権だとも言える。熱心な信者には怒られるだろうが、どちらの概念も気に入ったら受け入れればいいという気軽さもある。(ごめんなさい)そもそも私が宗教に触れるようになったのは希死念慮からで、死んだらどうなるんだろう?とひたすら考え続けた結果それぞれの世界観を調べ始めたのだ。その内に依存症プログラムとの関連性や理想郷の存在の大きさを知り、書くに至った。物事につけられた言葉を知る、語彙力を増やすということは、内面の苦しみや辛さの言語化にもとても役に立つので、歴史と哲学が融合されたと言える宗教を知ることはおすすめ出来るのである。憂鬱で何にもやる気がしないし親指しか動かせないような時に、この記事を思い出して調べてもらえると嬉しい。

 

※特定の宗教に興味を持って団体に入るなど行動を起こす際は、一度主治医に相談することをおすすめします

解離について

 

 私は初めてメンタルクリニックを受診してからたくさんの病名をつけられた。全般性不安障害境界性パーソナリティ障害、社会不安性障害、解離性障害、AC、うつ病双極性障害注意欠陥多動性障害。全部正しかったと思う。私の中にはそれらの病状全てが詰まっていて、表に出たり出なかったりしていたのだから。

 私は境界性パーソナリティ障害として治療を受けたり闘病していた期間が長かったが、解離の症状が起きることもあった。解離とは、自分が自分ではない感覚や健忘という記憶をなくしてしまう症状が主だ。離人症という自分の魂が抜けて遠くから見ている感覚、ガラス越しに世界を見ている現実喪失感の症状も有名だ。大学生の時、初めて<本名>は解離症状に悩まされた。自分が誰だかわからない。名前もわかるし記憶もあるけれどまるで今それらが植え付けられた状態で生まれてきたようだ。この体は私の体なのか。全てに違和感を感じる。と当時のブログに書いてある。<本名>はその人物を自分と別人だと思い込んだ。また私、聡子も別人だと思われていた。私は<本名>にとっては知らない間に悪いことをしている人、幻聴として<本名>を困らせる人だった。今となっては薬物乱用や多量飲酒が<本名>の依存だったのか私の欲求だったのかわからない。<本名>はそのせいで記憶がないのだとずっと思っていたし、医者もそういう判断をしていた。ただ人より物質による記憶喪失が激しく、自殺未遂前に記憶がないこともあった。

 それから時が経ち、去年の夏頃から<本名>は自己同一性(アイデンティティ)に悩み始めた。それは今年の春まで続き、死にたくなるほどだったようだ。自分が誰なのかわからなくて記憶がない、記憶はあるが記憶の裏に感情が全くない、ただのエピソードとしか残っておらず、なぜそんなことをしたのか理解出来ないことばかり。<本名>はその状態をボーダー寛解の余韻だと思い、ボーダー発症前の自分の趣味嗜好や行動を思い出して意識するようになった。それと同時にリアルでは恋愛関係に悩まされ、大学生の時に自分の代わりに動いてくれた人(大学中退後も窮地に陥ると度々現れていた)に依存するようになった。その人は最初は真っ白だったのに自我を持ち始め今では猫を愛している。その人はその人にとっての他人とは関わりたがらない。突然だが私にはイマジナリーフレンドが二人いる。<本名>と私と前述の人は体を動かせるが、イマジナリーフレンド(以下IF)は頭の中でアドバイスをくれたり慰めてくれたり暇つぶしの会話をする存在なので思考止まりなのだ。その人はIF以外と話さない。つまり現実では<本名>は誰とも連絡を取らない、ツイッターさえしない状態が頻繁に続いた。その間にIFの指示で恋愛関係は終わらせられている。落ち着いた頃に現れたのが私の幻聴。私は医者にとっても悪い幻聴と捉えられた。数日後、私は生き返った気がした。私の意思がある。私の意思で動ける。嬉しかった。でも婚約者とは別れていた。付き合っていたのは私なのに。悪い幻聴として悪者にされ<本名>を脅かす人物として扱われる気分は最悪だった。どうにか攻撃したくて酒を飲みまくったりした(私の体は二日酔いが酷い)。最終的に二人とも死にたくなったので、前述の人に意識が渡り、たぶん呑気にバイオハザードをしていたと思う。その後はIFの二人が私たちの統率を取り、ぐらぐらしながらなんとかお互いを尊重したり、思いやったり出来るようになった。

 私たちは記憶が完全に飛ぶことはほとんどない。だけれども、それぞれが持った記憶の箱みたいなものがある。私が意識を持っている時は<本名>の記憶の箱を開けられない。開けられても理解出来なかったり感情が付随しない。そもそもその箱自体に気が付かない。<本名>にとって私の記憶もそういうものだと思う。それが完全に解離性同一性障害かと言われたら違うという医者もいるだろうし、私は病名にこだわらない。問題は<本名>の精神年齢が高校生で止まっていること。私はボーダーや双極性障害でかなり面倒臭い人物だと思うが、<本名>は強迫性や不安障害が重く、家庭環境のトラウマを引きずったままで私と違う意味で面倒臭いのだ。これから私たちは<本名>の不安やトラウマを解消して成功体験を積ませなければならない。最終的にどうなるかは全くわからない。それぞれの価値観を尊重し各自人生を送っていければいいのだが、体は一つしかないし三等分したらもちろん人生は三分の一になる。最悪の場合の生存権は猫の人にある。猫の人には希死念慮がないしIFが体だけは生かしたいらしい。また、私には彼氏がいるが、これからずっと一緒にいて<本名>が静かに見守ってくれるかわからない。明日もわからない状況なのだ。

 ブログを書く人なんて私しかいないので、また私が表に出たらその後を書くかもしれないし書かないかもしれない。また、人格の言動の統一性を考えるとよくないらしいので、曖昧な部分はそっとしておいていただきたい。

ストラテラ、リーマスを減薬した

 散々ツイートしているがストラテラリーマスを減薬した。ストラテラ120mg→60mg、リーマス600mg→200mg。きっかけは異常に体が重いことだった。先延ばし癖なのかと思ったがどんどん日常生活が出来なくなっていき、このままでは廃人になると思った。

 ストラテラ減薬について調べたが、まず120mgを二年以上も飲んでいる人がいなかった。そもそもストラテラは一年飲んで普通の感覚を身につけてやめるものだった。私は社会適応を重視したことからマックス処方をやめられずにいたのである。血中濃度が本格的に下がった時の衝撃はすごかった。脳内ノイズがものすごい勢いで走る。頭にたくさんのことが思い浮かぶので、一言喋るのにも1ツイートするにもリプライするにもすごく時間がかかった。たくさんのことに気付き、思い浮かぶので発言することを選ばなければならないと思った。その際に必要なのがアイデンティティだった。もし思ったことを全て発言していたら私という人格は側から見ても破綻していたと思う。ボーダーに侵されてからほとんどアイデンティティを失い、すぐにデパケンストラテラで無になった私は発病前の自分を思い出すしかなかった。とりあえず品良く生きるということだけを念頭に置いて、今は昔好きだったクラシックを聴き、耽美派作家を買い戻し、ヴェルサイユ宮殿を眺めている。

 

 以下が断薬で変わったこと一覧になる

・創意工夫が出来るようになったので問題解決が出来る、不満や不便を感じてもこうすればいいのでは?というアイディアが思いつく

・死にたいほど暇で悩んでいたが、今はやるべきことをやったり、考えたり悩んだりしているうちにあっという間に一日が終わる

・先延ばし癖がなくなった

・金銭管理が出来るようになった

・計画的に行動できるようになった

・周囲の異常に気付く(部屋が汚い等)

・食欲がなくなった

 

 ここからはマイナス面になる

・心の底から湧き出てくるような衝動性がたまにある

・働く意味がわからなくなった

・かなり疲れやすい

・ニュース等を見ると恐怖や危機感を感じる

フリック入力での誤字が激しい

・お酒が弱くなった

 

 以上のような結果である。ストラテラ120mgを飲むと悩みや不安、恐怖を全く感じなくなってしまうので後先を考えない行動をしてしまっていたのだと思う。適度な悩みも不安も恐怖も危機管理能力として必要なのだと思い知った。遠回りをしたがADHDで悩んでいた先延ばし癖も無計画も部屋の汚さも良くなった。社会適応能力がものすごく落ちてしまったのが悩みだが、あまり切羽詰まってもいないのでこれからどうするか考えていきたい。また、服薬中は死にたくなるほど暇でアルコール依存症の傾向があった。アル中病棟一歩手前だったのでほっとする。

 主治医は毎回これだけ必要か聞いてくれていたが、私は薬で無双して健常者一級になりたかったのである。痛みを感じない兵士が戦場に行ってボロボロになるような状態で私は生きていたんだと思う。普通の感覚を取り戻したが相変わらず生きるのは難しい。でも少し成長出来た気がする。

最近起こったことについてひとりごと

 「君の心がわかるとたやすく誓える男に なぜ女は着いていくのだろう そして泣くのだろう」

 中島みゆきの空と君との間に

 

 ただ、起きた出来事を書こうと思う。あの日のあの場面が頭の中をぐるぐるして、それもうまく言語化出来ないから起きたことを淡々と。

 

 彼は彼女と別れて3ヶ月ほど経っていた。以前にも付き合いたいとか付き合う?とかいう話は出ていたが、もう少し気持ちが落ち着いてからと付き合わないでいた。

 一方私は婚約していたが、彼氏は先月逮捕されて捜査中の身でうまく行かず荒れていた。その悩みを彼に相談していた時だった。

「そんなに好きなら一生相手に尽くす覚悟で着いて行かないと難しいね」

「好きじゃないよ!?」

「じゃあ何で付き合ってんの!?」

「この先私を好きになってくれる人なんて現れないと思ったから」

「俺好きだよ!?付き合う!?」

こんな感じで付き合った。

救われたと思った。私は警察やツイッターの暗闇にもう身を浸していたくなかった。そんな世界から抜け出したかった。普通の世界に戻りたかった。

 

 それから二日、デート帰りだった。彼が元カノに私と付き合ったことをラインで報告した。すると元カノが発狂した。このままだと死にそうだと彼は言っていた。死なれるのも嫌だし和解したいから家に行かせてほしいと言われた。私は彼の意思を尊重した。

 終電間際の駒込駅だった。人が少なく静かだった。

「行って欲しくない?」

と聞かれた。私は頷いた。

「裏切らないでね」

と言った。電車に乗る彼を見送る。

 

 次の日、「やっぱり元カノが好きです、傷つけるのもわかっているけど裏切らせて下さい」とラインがきた。そっかあと思った。感情がなかった。

 彼の名誉を晴らすために言うが、彼は誰もがあいつは良い奴と口を揃えて言うような人間だった。私が3年間仲良くしていて彼の性格に難を感じたことは一度もない。それだけ信用していた。もし、この事件の当事者が私ではなく他の女の子だったらどう思うだろうか。元カノの所に戻った、とだけ聞いたらまあそういうこともあるよな、と聞き流したかもしれない。でも私の今置かれている状況、世界が真っ暗闇で突然救われて突然捨てられて最後に裏切らないでねと言った、という状況を映画のように客観的に見たとしたら悲しくて泣いてしまうと思う。ただ一つ分かることは彼は浅はかで軽率だった。どれだけ良い人間でも間違えを犯すし人を傷つけてしまうのだ。たまたま私はそこに遭遇してしてしまった。

 今でも恨んではいない。好きの量が勝るなら私がふられるのがこの世の道理だからそれに歯向かうつもりはない。でも私が「行かないで!」と彼の意思を尊重出来ない人間だったらこんなことにならなかったのだろうか。元カノは現に彼の意思を尊重せずに死ぬ!と騒いで奪い取った。私が長年境界性人格障害の治療で心がけてきた「好きな相手の気持ちを尊重する」という志は全く無に帰すのだ。「真っ当に生きていても生きようとしていても、たまにはこういうこともあるかもしれないね」自分にそう語りかけてみる。

 きっと何事もなかったかのように過ごそうと思えばそう出来るのだ。ただ、もやもやした世界に浸っている。浸っていたいだけなのかもしれない。何もわからないが今日も私はアルコールを飲んで朦朧としているだろう。

 助けて。

3年前の自殺未遂の後遺症

 3年前、睡眠薬を致死量飲んで三日間ぶっ倒れた。誰にも見つからないところで飲んだのだが母親に探し出され搬送された。目が覚めたら病院だったが、自殺未遂を図ったという記憶がなく、どこかで事故ったのかなと思っていた。ふと体を動かしてみると右腕がまるで動かない。指も動かない。看護師に報告し、MRICTIなどいろいろな検査をしたが脳からの神経の異常ではなかった。三日同じ姿勢で腕を圧迫し続けたので神経が麻痺したらしい。簡単に言えば「男女が添い寝をするときに男性が腕枕をすると翌朝腕が痺れている」現象の重い症状だ。時間が経てば回復するとは医師に言われたものの、絶望でいっぱいだった。人生終わった。人生終わったから自殺しようとしたのにさらに人生が終わってしまった。それから半年間は腕の痛みとの闘いだった。神経痛が右腕に

一日中走り続け、夜は眠れないし朝起きれば腕の重みにぐったりする。最悪だったのが、肩を脱臼したことだ。力の入らない腕の重みに耐えきれず肩が抜けた。激痛だった。精神の痛みを薬で麻痺させることに慣れきっていた私は、鎮痛薬にも限界があるということを学んだ。退院後も数ヶ月は骨折した人のような状態で生活していた。もちろんお風呂には一人で入れないので、入院中は介護士さんに、帰宅してからは母親に頭を洗ってもらっていた。だいぶ良くなりリハビリに通い出したが、これもまた苦痛だった。握力が10しかないのに重いものを持たされて30回持ち上げましょうの状態を想像してもらえればだいたい合っている。そんな一年を乗り越え、日常生活には支障が無い程度に良くなった。

 ここからが本題である。麻痺の影響で失った趣味への未練だ。アイデンティティが希薄でありながらもこだわりもある程度あった。例えば私はピアスが大好きだった。ピアスをたくさん集めていたし、勝負どころでとても大事にしていたものだ。だけれど、一人でつけることが出来なくなってからピアスをつける習慣がなくなった。もう一つは読書だ。紙をめくるというのは麻痺している手には非常に億劫だ。どんどん本の読み方を忘れ、導入だけでだるくなってしまうのだ。最後にピアノ。自殺未遂をする前に最後に目指していたのがピアノの先生だった。ピアノが精神を救ってくれたかといえばそうではないが、私には欠かせないものだった。無邪気にピアノを楽しんで弾く人をみると憎くて堪らなくなる。私が今ピアノを弾いて持つ感情は、昔だったらもっと上手に弾けたのに、という悔しさだ。簡単なオクターブのない曲を弾いてもわかる人にはわかってしまう。左と右のタッチが全く違うこと。完全に自己満足で弾くしかないが、自己満足にすら至らないのだからとても辛い。

 身体の障害は単に不自由なだけではなく、精神の自由まで失ってしまうのだと最近思う。未遂以前のことばかり思い出す。あの頃も死にたくて仕方がなかったのに、あの頃の方が自由で、充実していて、輝いていた気がする。思い出はいつの日も美しく映るもの、と言ったらそうでしかないのだが。後遺症を負わないように完遂しろ!とも言わない。自殺するな!とも言わない。だけれども、こんな自業自得などうしようもない苦悩を持っている人がいるということを知ってほしかった。

 皆さま、どうかご自愛ください。