「怒り」「優しさ」「許す」

 世の中には毒親に関する本が溢れているが、私は両親を毒親だと思えないので、それらの本を読んだことがない。だけれども、両親の問題で精神を病んだことは事実であるし、現在の悩みもほぼ家庭環境の影響だと考えると、やはり親を恨む時もある。カウンセリングを受け始めて、最終的に親を許さないと解決しないのではないかと思い、悩み抜いた。もしかしたら毒親に関する本には親を許す方法なんていくらでも書いてあるのかもしれないが、自分で考えた経緯と結論を書いていきたい。

 

 私は「怒り」の感情が強い。無理やり「怒り」を抑えこもうとすると、感情を失くしてしまうことさえある。境界性パーソナリティが酷かった時は怒り、憎しみに任せて行動していた。他人に暴言を吐くこともあれば、怒りの感情で自身を傷つけたり、飲食店にクレームをつけたり、家の食器や窓ガラスを割ったり、母親が作ってくれたお味噌汁を投げた。本当は、そんな自分が大嫌いだった。なぜなら私は本来「優しい」人間でありたかったからだ。発症する前は、普通の人よりも「優しい」人間であろうとしていた記憶がある。友達が悩んでいたら助けたかったし、いじめを許せなかった。いじめられてリストカットをしている友達の話を親身になって聞いた。(その私が当事者になるとはとんだ笑い話だが)でも、家庭環境が悪化して鬱っぽくなり、思春期を過ごしているうちに「優しい」と他人に褒められることは「都合の良い何をしても怒らない存在」だと思われているのではないかと悩み始めた。あまり自己主張をするタイプではなかったので、なんとなく断れなくて正直嫌なことが多かった。私は境界性パーソナリティ障害が発症した瞬間の思考をいまでも覚えている。「好きな人に好きと言い、嫌いな人に嫌い(●ね)と言いたい」だ。「怒り」は私の表現であり、武器だった。怒って腕を切ればみんな私の言うことを聞いてくれるようになったし、暴力に訴えれば何も怖くなかった。さらに父親をフライパンで殴ろうとした時、「あ、最初からこうすればよかったんだ」と気づいて、ある種の優越感に浸ることができた。私は「怒り」を利用して生きていた。

 

 ある程度、落ち着いて、ふと目覚めて自分を俯瞰すると、本来の「優しい」自分が恋しくなった。戻ろうと努力したが、それはとても難しいことだった。「怒り」を手放したら、また人に利用されるかもしれない、傷つくかもしれない。どう考えても「怒り」と「優しさ」は私の中で両立しなかった。頭でわかっていても、冷静になろうとしても「怒り」は私の中に存在し、爆発する機会を伺っていた。どうしたら「怒り」は消えてくれるのだろうかと本を読み漁った。「怒り」を有効活用しようと考えてもしっくりこなかった。何か嫌なことがあると、私がいて、私の右側に「怒り」がいる。私はそちらに任せてしまったら、自分が何をしでかすか目に見えるようにわかっていた。その感覚が気持ち悪くて悩んだ。それでも私は無意識にその「怒り」に依存していた。最終兵器みたいなものだ。アルコールを飲んで「怒り」を爆発させてしまえば楽になれる。「怒り」を小出しにすることも考えた。素面の状態で怒ったふりをするのだ。たぶん、「怒り」でない私は、怒りという感情をそもそも感じることができなかった。怒っていいのかわからなかった。「怒り」たちは私を怒れない腑抜けの弱虫だという。もうどうしたらいいのかわからなかった。

 私の「怒り」は「負けたくない」という闘争的な感情だった。この感情が生まれたのは、父親に怒鳴られ続けたことが原因だ。父親に怒鳴られて泣くのは自分が惨めで嫌だったので、泣かないように頑張った。でも思わず涙が出ると、悔しくて悔しくて仕方がなかった。それは「負け」だった。何が勝ちで何が負けなのか明確な基準なんてなかったが、泣いたら負け、へらへらやり過ごしたら勝ち、そんな風に捉えていた。父親との毎日は私の闘争で、勝ち負けが全てであり、負けたら自分が惨めで死んでしまいたくなるのだ。父親の言うことが全て正しいと思い込み、受け入れ続けていたら私は自尊心が欠如し、本当に死んでいたかもしれない。だから「怒り」は生まれて成長し、戦い続けた。父親に負けたら哀れで惨めな存在になってしまい、私は価値がなくなってしまうと思い込んでいた。

 

 最近、ほんの些細なことがきっかけで「負けてもいいんだ」と気づいた時、肩の荷が下りた。負けてもいいんだ、負けても私の価値は変わらない。父親は私が病気になったことを自分のせいだと認識していない。だからよくある話のように、父親からあの頃は済まなかったと謝られたりもしていない。もし謝ってもらえたら私の勝ちだったかもしれない。私は父親に負けた、ずっと昔から負けていた。もうそれでいい、勝っても負けてもどうでもいい。私の価値は私が決めるものであり、人間関係の勝ち負け(おそらく優位性を持つことと劣勢に立つこと)では決まらない。勝つことに執着する必要もないので「怒り」を利用する必要も、もうなくなった。そもそも人間関係は勝ち負けではないが、そのことを心の底から実感できるのはまだ先のことだと思う。私が心を許しているのは、一緒にいて戦う必要がない、対等に接してくれて、他人は他人だと認識している人たちだけだ。

 

 私にとって「親を許す」とは、「両親との関係性で私の価値が決められるものではない、いくら両親に否定されようが認められなかろうが、私の価値は私が決めるものだ」と決意することだ。そう決意することで親への執着と呪縛から解放される。そして、親から押し付けられる理不尽なことに負けたくなかっただけなので、その他の部分の愛情として与えられたものも見えてくる。親だけではなく、私を大切にしなかった昔の恋人たちにも同じことが言える。大切にされなかったからといって私に価値がないわけではない。ここで、もうひとつ気付けたのが、私の価値を私が決めてもいいのと同じように、他人の価値を決めるのもその人自身なのだ。私が他人を価値判断するのはおこがましいことである。そう考えると他人に対しても、みんな好きなことをして自由に楽しく生きらればいいと思える。私は一緒にいて気が合って楽しい人と人生をともにすればいい。

 

 きっと私の闘争精神は完全にはなくならないだろうから、自分への向上心や仕事で活かしていけたらいいと思う。

 

 ※「優しい」の表現は学生時代の感覚として使っているだけなので、本質的な意味を考えるのはこれからかもしれない