社会に適合するということ
最近ふと、「この世界に適合するのに31年かかった」と思った。
適合するということは、簡単に言うと自分を変えるということではないか。
私は子供の頃から個性的な側面を持ち合わせたタイプだった記憶があるが、境界性パーソナリティ障害を治そうと決めた時からとにかく自分を変えようとしてきた。自分の感情や感覚は病的で異常でおかしいと決めつけてかかるから、本当の気持ちがわからない時期もあった。でもそうやって自分と自分以外の世界をすり合わせて行くことでやっと適合できた、と言ってしまうと言い過ぎなので、社会不適合ではない状態になれているとは思う。
社会不適合を治すために試して良かったことが二つある。
一つは読書。小説から専門書、自己啓発と呼ばれるジャンルまで気になったものは全て読む。読書が有意義な理由は、自分と違う人間の人生と、人生の基になっている習慣を知ることができるところだ。習慣というのは自分が生まれ育って生きていく上で根付いた部分もあるが、親から受け継いだ部分も大きい。親が不幸な人生を送っていると自分も同じような人生を送る羽目になってしまうパターンがよくある。そこで自分でも親でもない第三者の習慣を知ることで、自分だけのオリジナルの人生を作り始めることができる。(もちろん知ったところで親子関係というものには引き離せない力があるので、不幸な習慣から離れることは本当に大変なことだ。)習慣にはもちろん考え方も含まれるので、健康的な考え方を知っていると、自分の考えの極端さや自分を追い詰める考え方に気づくものだ。例えば、忙しくなってストレスが溜まり、余裕無くなっていくとどんどん考えが極端で自分を追い詰めるものになっていくことがある。最近はそういった時に少しは自分を励ませるようになった。いわゆるレジリエンスというもので、逆境の乗り越え方の話だ。人生はうまくいくことばかりではないので、逆境の時どうするかが肝になるのだ。逆境でダメにならない人は、自分はダメだと自分を追い詰めたりせずに、自分を信じることができたり、なんとかなると思ったり(実際生きている限りなんとかならないということはない・・)、ユーモアにして乗り越えたりするらしい。そういうことも本を読んで少しずつ学んだ。
二つ目は健康的な人と付き合うことだ。私が健康的な人と付き合うことの重要性を感じたのは、愛着関係の恋愛について調べていたときだ。不安型と回避型はくっつきやすいが大抵その性質が故にうまくいかずに不幸な恋愛になる。不安型や回避型が幸せな恋愛するには、まず安定型と付き合って、付き合っていくうちにだんだん愛着パターンが相手に似てきて自分も安定型の愛着パターンを持てるようになる。という旨の心理学者か何かの記事で読んだのである。(参考
https://president.jp/articles/-/18345)
これは本当だと思う。まず愛着障害関係なく、付き合う相手というのは意識しなくても自然と似てくるので、似てもいいと思えるような相手と付き合った方がいい。単純な話、付き合っている相手が仕事を前向きに頑張ってるので私も頑張ろうと思って仕事を頑張っているうちに社会に適合できている状態になっていたりする。ただ、健康的な人と付き合うことは非常にハードルが高い。なぜなら社会不適合で人生がうまくいかないうちはそのうまくいかなさに共感してほしいので、必然的にうまくいっていない同じような人間と仲良くなる。もちろんそうやって普通の人には理解されないことを分かち合う期間も必要だ。ただ、うまくいかない人はうまくいかない自分と似たような考え方や習慣を持っているので、自分を変えるという意味で良い影響を受けることはあまり期待できない。でも、社会に適合しているとかしていないとは関係なしに、気の合う人間というのは存在するのでそういう人たちと親交を深めるのがいいと思う。今の時代、健康な人生を送ってきた人でも、厳しい労働環境やハラスメントで一度はメンタルを崩した経験がある人は結構いて、そういう人たちはうまくいかない状態というものに理解があることが多い。(身内がそうだったという人も理解度が高い。)また、そういう人たちの逆境の乗り越え方や経験談というのは大変参考になるし、立ち直って頑張っている姿を見ると励みになったりする。
このように、私はとにかく自分を変えることを選んだが、変わりたくない人、変えたくても変えられない人がたくさんいるのはわかっている。私は変わっていく自分を見て寂しくなることもあるし、本当の自分ってなんなんだろうと思ったりする。変わらずに自分の思想を貫く人はかっこいい。社会というのは職場だけではないので労働ができないのなら家族のサポートをしたり、趣味に打ち込んだりして、自分が生きている実感を持てる空間が一つあればいいと思う。
一応適合している状態にはなっているものの、毎日毎日、自分の経験不足を痛感してばかりだ。私が労働できるようになったのは25歳頃で最初は短時間のバイトだったから、新卒で入社して毎日働いてきた人に比べると明らかに経験不足だ。経験不足だと少しのトラブルで不安になるし、初めてのことばかりだなのでそれなりにプレッシャーがある。でもそんな日々を積み重ねることでしか私の経験不足を解消する方法はない。私は今までも失敗から学んで情報収集して自分を変えてきたから、これからもそうやって乗り越えていけると信じたい。
この記事が私にとっての本や友人のように、誰かの役に立ちますように!
同情という感情を好きだと錯覚していた話
父親が亡くなった。経緯については今のところ話したくないので伏せておく。自殺ではない。父親の死を機にカウンセリングを受けていて、自分の対人関係に影響する大きなことがわかり、整理がついたので書こうと思う。
父親は可哀想な人だった。父親(私の祖父)が家に女を連れてくるほど秩序のない家庭で育ったため、3歳まで親戚の家をたらい回しにされたらしい。私の祖父は私が生まれてからも荒れていて、アルコールを飲んで刃物を私たち家族に向けてきたことがある。子供だったのでよく覚えていないが、しょっちゅう酔っ払って問題を起こしていた。
父親は口数の少ない不器用な性格で、友達も居らず、仕事も容量が悪くて辞めてしまって、なんだか寂しそうな背中をしていた。
私が中学二年生の時、父親と母親が些細なことで喧嘩をして父親が家を出て行ったまま1ヶ月帰ってこなかった。家族は離婚の危機に瀕したが、その時母親に「おじいちゃんはあんなだったから、お父さんはどうすれば良いお父さんになれるかわからないのよ」と言われた。私は「そっかあ、じゃあ仕方ない」と不本意ながら納得してしまった。
大人になって自分が精神を病み、機能不全家庭のことを知るようになってから父親の育った環境がどれだけ父親の人格形成に影響したか、どれだけ傷ついて育ったかわかるようになり、ますます哀れんだ。
父親の死後、母親にまた同じことを言われた。「お父さんも可哀想な人だったのよ」と。そこで私は突然冷静になり「可哀想だからと言って娘を傷つけていいことにはならなくない?」と思った。私の中にはいつの間にか「可哀想だから」を理由に自分を傷つけることを許す姿勢ができていたのである。自分と他者との境界が曖昧になっていたことが目に見えるようにわかった気がした。
父親は私のことを怒鳴るので私は基本的に憎んでいたが、ただ単に「嫌い」なわけではない。やはり親なので「好きでいたかった」「でも嫌い」「可哀想だから嫌いになれない」「本当に好きな部分もある」。そういう想いが錯誤して異性に投影していた。父親に似ているどこか可哀想な男性を見ると好きになってしまうのだ。今思い返せば「父親に似ている」ほど高尚な理由でもなく、同情という感情を好きだと錯覚していただけだと思う。よく考えてみたらそこまで似てないし、父親の方がまだまともなんていうこともたくさんあった。
私は特段惚れっぽい性格ではないので、同情から人を好きになってしまうというより、同情からしか人を好きになれなかった。それにはもう一つ理由があって、私はコミュニケーションが下手だった。たわいもない話や雑談はできたし人からはそこまでコミュニケーションが下手だとは思われなかっただろう。ただ、聞く能力が欠けていた。それは他人への無関心でもあった。自分が興味のなさそうな話題だと決めつけてしまうとそれ以上深く聞かなかった。深く聞くことも詮索だと思われそうでできなかった。そうしたコミュニケーションで築く関係はどこか簡素で虚しい。それに比べて「可哀想」で結びついた関係の居心地の良さは沼のようだった。
そうしたコミュニケーション能力の欠如に気付かされる機会が訪れた。そのきっかけとなった友人はとにかくよく聞いてくれた。しかも聞き出した上で私の話を肯定的に捉え、褒めてくれるのである。詮索だと思っていたこともいざ聞かれる側になると、私に興味を持ってくれていると嬉しくなるものだと気が付いた。それを機にコミュニケーションの本を読んだりして少しずつ人との話し方を変えてみた。自分にとってつまらなさそうとか役に立たなさそうと価値判断してしまった話でも、具体的に聞いてみると意外と楽しかったり、そういう考えもあるのかと感心させられたりする。そうやって心が弾むコミュニケーションができていれば、同情という感情から結びつきを感じる必要もないのではないかと思うようになった。
もし、昔好きだった可哀想な人に具体的に聞くということをしていれば好きにならなかったかもしれない。可哀想な理由も私からしたらしょうもないことでがっかりしたかもしれない。エゴイストに見えるだろうが、同情を理由に他人を好きになる人間なんてだいたい自己中心的な精神で動いているので、良い人だと信じたらだめですよ。とにかく私は聞く能力が欠けていたため、人を見分けることができず、安易に父親に似ていると思い込んだのである。勝手に勘違いされて利用される側からすればとんだ迷惑だろう。申し訳ない。
話を戻すと、同情とは決して悪い感情ではない。同情がなければ成り立たない職業もたくさんある。友達が困っていたら助けたい。ただ私は「可哀想」を武器にされるとどこまでも許してしまうから問題なのであった。憐れみながら自分を守ることは可能だし、全ての人に当たり前に与えられている権利だ。自分を守ることに罪悪感を感じる必要はない。私の周りにはこんな私と付き合えるくらいだから、優しいが故にどこか脆い人がたくさんいる。大切だからこそ踏み込みすぎないように、これからは徹底的に心がけようと思う。
治療したくない言い訳
私は感情が薄い。
前まで怒りの感情はかろうじてあった。しかし怒りの感情というのは感情の種類の中で一番浅いものらしい。確かに悲しいや辛いという感情を深く感じることすら私には難しい。感じすぎると自分が惨めに感じるからだ。人に怒るということはあまり惨めにならない。ただ客観的に見たら分別もなくいい歳した大人がすぐ怒るということは幼稚で恥ずかしくやはり惨めなことだ。最近の私にはメタ認知があって、普通の人だったらどういう風に考えてどういう言動をするか考える。きっと自分がどう感じるかが大切なのだが、私は私の感情を信じることができなくなってしまった。
私は哀れまれることが嫌いだ。不幸な人の中には自分の不幸話を延々として、哀れまれたがる人たちがいる。その人たちとは正反対だ。でもそういう性格をしていたらどれだけ楽だったかとも考える。高校時代不登校だった時に「○○は可哀想ってみんなにちやほやされていいよね」と友人に言われたことがある。その言葉を放った友人の底意地の悪さに傷ついたというより、私って可哀想なんだと実感したショックの方が大きかった。クラスメイトから学校に来ないことを心配されて優しくしてもらってはいたが、面と向かって可哀想だねと言われたことはなかったからだ。それからやたら可哀想という言葉を嫌悪するようになった。可哀想とは、本来不遇の人を見たときに辛い境遇を共感し同情する優しさに近い感覚だと思う。でも私にとって可哀想と言われることも同情されることも嫌味なことだった。私は勝気でプライドの高いところがある。
哀れまれたくないので孤高な気高さを愛した。嶽本野ばらの小説に出てくる女の子はみんな一人でも芯が強くて美しく気高い。大好きなALI PROJECTも孤高の存在であれと歌っている。
だから自分が惨めになるような感情があることは自分に都合が悪い。
極論を言えば感情がなくても生きることに支障はないが、とにかく他者の気持ちがわからなくなる。自分が持ち合わせていない感情が人の中にあるということを想像することは難しい。
普通の人が持っている感情を持っていないことに自己不全感を感じるし、自分がどこか冷たく石みたいで息苦しい。自分をサイコパスなのではないかと疑ったこともある。
私には辛いとか苦しいとかネガティブな感情を引き受ける人格がいる。私の中には良かったことしか存在しない。厳密に言えば、不幸な出来事の記憶も私はその出来事があってよかった部分を見出してしまう。でも辛い人格の感情や記憶が突然溢れ出てくることがある。客観的にそういう心の機能があることを知っているので受け入れることはできるし、思い出したような気になるが問題なのはすぐ忘れてしまうのだ。それからまた自分には幸せなことしかなかったかのように生き始める。
それでもやはり生きていくのに支障はないからいいじゃんとどこかで思っている自分がいる。
最近とても不幸な出来事があり、向き合わなければいけないタイミングであることはわかっている。それでも日常生活に支障がなければ過去のことなんて振り返らずに生きている人間なんて世の中にはたくさんいるのになんで私だけと思ってしまう。
感情がなくてもサイコパスで石みたいでも今までの生き方を変える方が正直面倒だ。人生への当事者意識、どうしたら持てますか。
「怒り」「優しさ」「許す」
世の中には毒親に関する本が溢れているが、私は両親を毒親だと思えないので、それらの本を読んだことがない。だけれども、両親の問題で精神を病んだことは事実であるし、現在の悩みもほぼ家庭環境の影響だと考えると、やはり親を恨む時もある。カウンセリングを受け始めて、最終的に親を許さないと解決しないのではないかと思い、悩み抜いた。もしかしたら毒親に関する本には親を許す方法なんていくらでも書いてあるのかもしれないが、自分で考えた経緯と結論を書いていきたい。
私は「怒り」の感情が強い。無理やり「怒り」を抑えこもうとすると、感情を失くしてしまうことさえある。境界性パーソナリティが酷かった時は怒り、憎しみに任せて行動していた。他人に暴言を吐くこともあれば、怒りの感情で自身を傷つけたり、飲食店にクレームをつけたり、家の食器や窓ガラスを割ったり、母親が作ってくれたお味噌汁を投げた。本当は、そんな自分が大嫌いだった。なぜなら私は本来「優しい」人間でありたかったからだ。発症する前は、普通の人よりも「優しい」人間であろうとしていた記憶がある。友達が悩んでいたら助けたかったし、いじめを許せなかった。いじめられてリストカットをしている友達の話を親身になって聞いた。(その私が当事者になるとはとんだ笑い話だが)でも、家庭環境が悪化して鬱っぽくなり、思春期を過ごしているうちに「優しい」と他人に褒められることは「都合の良い何をしても怒らない存在」だと思われているのではないかと悩み始めた。あまり自己主張をするタイプではなかったので、なんとなく断れなくて正直嫌なことが多かった。私は境界性パーソナリティ障害が発症した瞬間の思考をいまでも覚えている。「好きな人に好きと言い、嫌いな人に嫌い(●ね)と言いたい」だ。「怒り」は私の表現であり、武器だった。怒って腕を切ればみんな私の言うことを聞いてくれるようになったし、暴力に訴えれば何も怖くなかった。さらに父親をフライパンで殴ろうとした時、「あ、最初からこうすればよかったんだ」と気づいて、ある種の優越感に浸ることができた。私は「怒り」を利用して生きていた。
ある程度、落ち着いて、ふと目覚めて自分を俯瞰すると、本来の「優しい」自分が恋しくなった。戻ろうと努力したが、それはとても難しいことだった。「怒り」を手放したら、また人に利用されるかもしれない、傷つくかもしれない。どう考えても「怒り」と「優しさ」は私の中で両立しなかった。頭でわかっていても、冷静になろうとしても「怒り」は私の中に存在し、爆発する機会を伺っていた。どうしたら「怒り」は消えてくれるのだろうかと本を読み漁った。「怒り」を有効活用しようと考えてもしっくりこなかった。何か嫌なことがあると、私がいて、私の右側に「怒り」がいる。私はそちらに任せてしまったら、自分が何をしでかすか目に見えるようにわかっていた。その感覚が気持ち悪くて悩んだ。それでも私は無意識にその「怒り」に依存していた。最終兵器みたいなものだ。アルコールを飲んで「怒り」を爆発させてしまえば楽になれる。「怒り」を小出しにすることも考えた。素面の状態で怒ったふりをするのだ。たぶん、「怒り」でない私は、怒りという感情をそもそも感じることができなかった。怒っていいのかわからなかった。「怒り」たちは私を怒れない腑抜けの弱虫だという。もうどうしたらいいのかわからなかった。
私の「怒り」は「負けたくない」という闘争的な感情だった。この感情が生まれたのは、父親に怒鳴られ続けたことが原因だ。父親に怒鳴られて泣くのは自分が惨めで嫌だったので、泣かないように頑張った。でも思わず涙が出ると、悔しくて悔しくて仕方がなかった。それは「負け」だった。何が勝ちで何が負けなのか明確な基準なんてなかったが、泣いたら負け、へらへらやり過ごしたら勝ち、そんな風に捉えていた。父親との毎日は私の闘争で、勝ち負けが全てであり、負けたら自分が惨めで死んでしまいたくなるのだ。父親の言うことが全て正しいと思い込み、受け入れ続けていたら私は自尊心が欠如し、本当に死んでいたかもしれない。だから「怒り」は生まれて成長し、戦い続けた。父親に負けたら哀れで惨めな存在になってしまい、私は価値がなくなってしまうと思い込んでいた。
最近、ほんの些細なことがきっかけで「負けてもいいんだ」と気づいた時、肩の荷が下りた。負けてもいいんだ、負けても私の価値は変わらない。父親は私が病気になったことを自分のせいだと認識していない。だからよくある話のように、父親からあの頃は済まなかったと謝られたりもしていない。もし謝ってもらえたら私の勝ちだったかもしれない。私は父親に負けた、ずっと昔から負けていた。もうそれでいい、勝っても負けてもどうでもいい。私の価値は私が決めるものであり、人間関係の勝ち負け(おそらく優位性を持つことと劣勢に立つこと)では決まらない。勝つことに執着する必要もないので「怒り」を利用する必要も、もうなくなった。そもそも人間関係は勝ち負けではないが、そのことを心の底から実感できるのはまだ先のことだと思う。私が心を許しているのは、一緒にいて戦う必要がない、対等に接してくれて、他人は他人だと認識している人たちだけだ。
私にとって「親を許す」とは、「両親との関係性で私の価値が決められるものではない、いくら両親に否定されようが認められなかろうが、私の価値は私が決めるものだ」と決意することだ。そう決意することで親への執着と呪縛から解放される。そして、親から押し付けられる理不尽なことに負けたくなかっただけなので、その他の部分の愛情として与えられたものも見えてくる。親だけではなく、私を大切にしなかった昔の恋人たちにも同じことが言える。大切にされなかったからといって私に価値がないわけではない。ここで、もうひとつ気付けたのが、私の価値を私が決めてもいいのと同じように、他人の価値を決めるのもその人自身なのだ。私が他人を価値判断するのはおこがましいことである。そう考えると他人に対しても、みんな好きなことをして自由に楽しく生きらればいいと思える。私は一緒にいて気が合って楽しい人と人生をともにすればいい。
きっと私の闘争精神は完全にはなくならないだろうから、自分への向上心や仕事で活かしていけたらいいと思う。
※「優しい」の表現は学生時代の感覚として使っているだけなので、本質的な意味を考えるのはこれからかもしれない
殴り書き
私は高齢出産で生まれた。母親が44歳の時に生まれた子供だった。
妹ができて48歳の時に妹が生まれた。出産の際母親は3ヶ月ほど入院した。母親を病院に残して帰ることが嫌で嫌で大泣きしていたので父親に無理やり担がれて帰った。点滴を繋がれている母親をお見舞いに行く度に見て心細い気持ちになった。もしかして死んでしまうんじゃないかと不安だった。父親との生活はあまり覚えていないが孤独だったと思う。仕事で私を迎えに来れない日は、叔母か、近所の人に預けられた。私が愛嬌がなかったのか、可愛がられるような温かみを感じたことはなかった。
いざ、母親が出産して退院すると、もう私だけのお母さんではなくなっていた。妹を付きっきりで面倒を見ていて、私が感じていた孤独を埋め合わせしてくれるようなことはなかった。その体験のせいか小学校に入ってから不登校になった。母親と離れていることが苦痛だった。秋から突然登校できるようになったが、今でも仲が良い友達と出会うまでは、あまり同級生と遊んでも楽しくなく、内気な子供だった。
家庭ではよく父親と母親の喧嘩があった。記憶に残っているのは全て私の教育方針についての喧嘩だった。「父親に怒鳴られている自分を母親が庇ってくれなかった」という話はよく聞く。私は確かに母親に庇ってもらってはいた。でも、自分のせいで親が喧嘩しているという状況には罪悪感があった。
家庭環境がどんどん劣悪になり、別居をして落ち着いたものの、私は鬱気味になった。そして境界性パーソナリティ障害を発症した。それからの母親はとにかく私に振り回された。一人暮らしを始めても自殺未遂や入院を繰り返したので、母親は1〜2時間かけて何度も面倒を見に来てくれた。大学を中退して実家に戻ったが、好き勝手に遊ぶ私を許容し、金銭的にもお小遣いレベルの金額を与えられた。
違和感を覚えたのは鬱病の彼氏と付き合った時だ。鬱病の彼氏の面倒を見ている時に私は私の面倒を見る母親を思い出した。共依存だと思った。私は愛されたい、愛されたいと嘆いて暴れる側から、いつの間にか人の面倒を見ることで自分が必要とされていると思いこむことに喜びを感じる人間になっていた。もちろんそんな関係がうまく行くはずもなく、自分に人の面倒を見るほどのキャパシティも持ち合わせていない。愚かだった。
その後、本格的に死にかけたことで自殺願望は薄くなり、多少落ち着いた。でも私のいわゆる共依存体質は治らなかった。二次元にハマったが、共依存ものを求めた。
しばらく社会的地位を取り戻すことに精を出した。職場で出会った人と付き合ったが、やはり「面倒を見たい」という感情が大きかった。その人との関係は自己犠牲的だった。家庭環境が悪かったと聞いて哀れんだ。愛情表現が下手なのも家庭環境のせいだから仕方がない、私が愛を与え続ければいつかわかってくれると思っていた。その人は無口でぶっきら棒なところが父親に似ていた。私は母親のようだった。両親の夫婦関係を繰り返しているようだと何度も思った。子供が出来たら教育方針で喧嘩するのではないかと考えて恐れた。
母親が私の面倒を見たのは母として当然だったのか、共依存だったのかもうわからない。でも私が尽くすことが愛だと錯覚し、恋人とはいえ赤の他人に与えようとすることは間違っている。
今、母親は70歳を過ぎても働いている。私からしたら酷な人生だと思う。母親が苦労する姿をこれ以上見たら、私も一生苦労することに美德を見出して生きてしまう気がして恐ろしくなる。書いていて気づいた。恩返しのようなものをすればいいんじゃないか。
誰かに見せるための不完全な文章
紆余曲折あり、専業主婦(仮)になった。
仕事を辞めた日に彼氏から言われた言葉は、
「俺が仕事に行っている間何をしていてもいいよ。でも、SNSはダメ。」
甘い蜜のような言葉だけれど、長年SNSと生きてきた私にとってはとても辛い言いつけだった。彼氏の用心深い性格と、私の危うい言動を見ていてSNSを禁止したなら納得ができたので、いう通りにすることにした。
それなので、TwitterとInstagramの投稿はしなくなった。
しばらく自分の思考の観察をしていた。Twitterをやめてすぐは「このことみんなに共有したい!絶対共感してもらえる!」とか「Twitterだったら絶対ウケるネタだ!」とか、そんなような思考回路が存在した。でも、次第に消えていった。たまに投稿しようと思っても、出来事を文章に起こす時間が無駄だと感じ始めた。その時間に彼氏や家のことを考えていれば些細なことに気を配ることができるのだ。
SNSをやめて生まれた膨大な時間はほとんど読書にあてた。そのおかげか、最近、思考がまとまってきた。もう少しで形になりそうな気がするけれど、曖昧な何かにストップをかけられてしまう。ひとつ言いたいことがあれば色んなことに繋がっていくけれど、私はそれが嫌なのだと思う。特に、過去を思い出したくない。過去に触れずに物事を語るということは難しい。
人にどう思われているか気になるというのもある。もはや、例えば、投稿した後に何か言われているかもしれないと不安になるデメリットを考えると、そもそも投稿する価値がそこまであるのか疑問に思えてくる。これは私にとって大きな問題だった。ついつい攻撃的で尊大なことを投稿してしまった後、見た人にどう思われているか不安になる。投稿しなければよかったと後悔する。こういった感情の動きは、無駄以外のなにものでもないと思う。
私はずっと誰にも見せない日記をつけている。それだから、記録としてインターネットに文章を載せる必要はない。でも、「誰にも見せない文章」と「誰かに見せるための文章」は別物だ。「誰にも見せない文章」は面白みがなく、書き留めたメモのような簡素なものになってしまう。「誰かに見せるための文章」は創作であるし、読んだ人の役に立ちたいという思いもある。
ブログを書くことは疲れる。140文字のツイートとは違って何時間もかけて記事を書く。でも、そうやって時間をかけて何か作業をすることが重要なのだと思う。
私が昔Twitterで投稿した「もし、病がよくなったら、今病んでいる人を助けることがしたい」という気持ちは、ずっとある。でも、私のできることなんて微々たるものしかない。私のかける言葉で人を変えることはできない。そんなことができてしまったら、きっと私は人の弱みにつけこんだ詐欺師のような存在になっているはずだ。
それだから、私が今日も生き続けていることが誰かの希望になればいいとだけ、思っている。
幸せの答え
「幸せってなんだろう?」と昔はよく考えたものだった。○○さえあれば幸せ!と言いながらいざ手にしたら全く幸せじゃないということもよくあった。
先日、ポジティブ心理学の本を読んだ。心理学とは病的な心を健康な状態に戻るようにアプローチしていくものだが、ポジティブ心理学は[心が健康な状態=幸せなのか?]と考えた人が、すでに健康な心を持った人でもより幸福な心理状態になる方法を追求した学問だ。
ストレス社会に生きる現代人に、”精神病予防”のような形で普及されることが目指すところだそう。私は、精神病からある程度寛解した人が、再発しないために知っておくといいのではないかと思った。元重度の精神病者の目線から内省を込めて読み解くことをこの記事の目的とする。
ポジティブ心理学を提唱したえらい人がすでに幸せの要素をあげているが、アメリカ的な価値観が強いため、今回読んだ本(「実践ポジティブ心理学 幸せのサイエンス」 前野隆司著)で研究された要素について言及したい。
要約すると幸せとは
○自己実現と成長
○つながりと感謝
○前向きと楽観的
○独立とあなたらしさ
これらトータルが高ければ高いほど幸せらしい。
○自己実現と成長
うつなどになる人は基本的に成功体験がない。ある程度病状が落ち着いたら成功体験を積むことを目標とすること。0か100ではいけない、コツコツ建設的に積み重ねる。自己実現とは、理想の自分と現実の自分のギャップをいかに少なくするかの話であって、他人と比較して満足するようなものではない。また、人は不幸に慣れてしまう。学習性無力感といって常にストレスを受け続けている人はそこから抜け出す気力を失ってしまうことがある。不幸がある程度環境のせいなら環境を変えることが出来るという希望を失わないこと。
○つながりと感謝
人間関係と現状への感謝への話。友人は一人でもいれば問題ない。ゼロ人と一人の間の幸福度の差は大きいが、さらに何十人増えようが影響しないらしい。よく言われているが量より質。”感謝”は私にとっては難しいものだった。病気になって日常生活を送れなくなり不便したから今普通の生活を送れるだけで有り難く感じる。だけれども、最初から何も失っていない人間が当たり前のように持っていることに稀少性を感じて感謝をできるか?現代の日本は格差が目に見えないらしい。ヨーロッパのように道を歩けば物乞いの子供がいて…という状況ではない。だから自分が持っていることになかなか気づけないのが問題だと思う。
○前向きと楽観的
困難にぶち当たっても「なんとかなる」というマインドがあると強い。これは立ち直りの話にも言及されていて、立ち直りが早ければ早いだけ人生は楽しい瞬間が多く生きやすいものになる。困難やストレスを避けて生きることはほぼ不可能だ。だからいちいち悲観的にならずに「なんとかなる」と思っておけばいい。私は元々不安になりがちで、さらに悲観に浸ることを好んでいたから自分を不幸に沈めていたことが多かった。この問題はSNSに大きく影響されている。以前、依存症研究者の松本俊彦先生が、若い精神病者が心がけることについて記事を書いていたのだが、”SNSでメンヘラを売りにしたアイドルになってはいけない”と書かれていた。症状を悪化させるなどの影響もあるが、悲観に浸ることはその瞬間その人を幸せにしない。楽しい映画を見たり美味しいものでも食べていたほうがまし、というのが私の解釈だ。
○独立とあなたらしさ
結婚の問題と自己受容の問題。男性は結婚をしていると幸福度が高いが女性は結婚しても結婚していなくても幸福度はさほど変わらないという話だが、ジェンダーの価値観には詳しくないので割愛する。”あなたらしさ”とは自己受容、すなわちありのままの自分を受け入れることが出来る人は幸せということだ。人間は普通に育てば自己受容出来る大人になるのだと思う。大人になるまでに何かしら否定される経験をすると自分を受け入れることが難しくなってしまう。最適解として、自分だけは自分を受け入れる心の広さを持つ、自分に優しくする辺りだと思った。体感的に自己否定は生活しているだけで自然発生してくる。自分を否定される環境から離れたあとも、明らかに否定されていないのに否定された気持ちになることが多い。それはきっと昔の記憶のせいなので信じてはいけない。
上記の条件全ては常にマインドフルネスに生きているということが前提とされている。辛い時はマインドフルネスをする。マインドフルネスをしている間は辛いことを忘れられるからだ。
私はこの本を読んで違和感を感じた。幸せとは最初から答えがあるのか?私だったら生きていくうちに自然と自分なりの幸せな生き方を見つけられた方が嬉しいと思う。要するに合理的なのだ。幸せの要素とはこういう風だと研究結果が出ているからそう生きた方がいいだとか、さらに幸せな人が集まって仕事をすると効率が上がるから社内に普及させようだとか、アメリカンで合理的な発想だ。芸術の盛んなヨーロッパなら不幸すら芸術になるだろう。ただ私は馬鹿なので、幸せってなんだろう?と考えていたら生涯が終わりそうだから答えあわせをしてみた。精神病を寛解した人の再発防止には最適だと思うので気になる人は読んでみて欲しい。