3年前の自殺未遂の後遺症

 3年前、睡眠薬を致死量飲んで三日間ぶっ倒れた。誰にも見つからないところで飲んだのだが母親に探し出され搬送された。目が覚めたら病院だったが、自殺未遂を図ったという記憶がなく、どこかで事故ったのかなと思っていた。ふと体を動かしてみると右腕がまるで動かない。指も動かない。看護師に報告し、MRICTIなどいろいろな検査をしたが脳からの神経の異常ではなかった。三日同じ姿勢で腕を圧迫し続けたので神経が麻痺したらしい。簡単に言えば「男女が添い寝をするときに男性が腕枕をすると翌朝腕が痺れている」現象の重い症状だ。時間が経てば回復するとは医師に言われたものの、絶望でいっぱいだった。人生終わった。人生終わったから自殺しようとしたのにさらに人生が終わってしまった。それから半年間は腕の痛みとの闘いだった。神経痛が右腕に

一日中走り続け、夜は眠れないし朝起きれば腕の重みにぐったりする。最悪だったのが、肩を脱臼したことだ。力の入らない腕の重みに耐えきれず肩が抜けた。激痛だった。精神の痛みを薬で麻痺させることに慣れきっていた私は、鎮痛薬にも限界があるということを学んだ。退院後も数ヶ月は骨折した人のような状態で生活していた。もちろんお風呂には一人で入れないので、入院中は介護士さんに、帰宅してからは母親に頭を洗ってもらっていた。だいぶ良くなりリハビリに通い出したが、これもまた苦痛だった。握力が10しかないのに重いものを持たされて30回持ち上げましょうの状態を想像してもらえればだいたい合っている。そんな一年を乗り越え、日常生活には支障が無い程度に良くなった。

 ここからが本題である。麻痺の影響で失った趣味への未練だ。アイデンティティが希薄でありながらもこだわりもある程度あった。例えば私はピアスが大好きだった。ピアスをたくさん集めていたし、勝負どころでとても大事にしていたものだ。だけれど、一人でつけることが出来なくなってからピアスをつける習慣がなくなった。もう一つは読書だ。紙をめくるというのは麻痺している手には非常に億劫だ。どんどん本の読み方を忘れ、導入だけでだるくなってしまうのだ。最後にピアノ。自殺未遂をする前に最後に目指していたのがピアノの先生だった。ピアノが精神を救ってくれたかといえばそうではないが、私には欠かせないものだった。無邪気にピアノを楽しんで弾く人をみると憎くて堪らなくなる。私が今ピアノを弾いて持つ感情は、昔だったらもっと上手に弾けたのに、という悔しさだ。簡単なオクターブのない曲を弾いてもわかる人にはわかってしまう。左と右のタッチが全く違うこと。完全に自己満足で弾くしかないが、自己満足にすら至らないのだからとても辛い。

 身体の障害は単に不自由なだけではなく、精神の自由まで失ってしまうのだと最近思う。未遂以前のことばかり思い出す。あの頃も死にたくて仕方がなかったのに、あの頃の方が自由で、充実していて、輝いていた気がする。思い出はいつの日も美しく映るもの、と言ったらそうでしかないのだが。後遺症を負わないように完遂しろ!とも言わない。自殺するな!とも言わない。だけれども、こんな自業自得などうしようもない苦悩を持っている人がいるということを知ってほしかった。

 皆さま、どうかご自愛ください。