同棲していた恋人が自殺した話

二年前、恋人が自殺してから私は長い長い退屈に襲われている。特に命日でも何でもないのにこの話をするのは暇だから。そしていつでも頭によぎるから。

 

彼が亡くなったのは8月14日。元々精神を病んでいた彼は5月に覚せい剤所持で逮捕、また6月に麻薬輸入容疑で不起訴になり二回目の出所をしてから、ずっと酷い鬱と不眠症に悩まされていた。かかっていた精神科はヤブで有名でいまは院長がリタリン依存で自殺してなくなったと言われている黒い病院。ハルシオンマイスリーロヒプノールエリミン、ベルソムラ大量に飲んでいたけど朝まで眠れない日がよくあった。そして異常に体力がなかった。留置所で体力が落ちたって言っていたけど、鬱の気力のなさだったんじゃないかといまでは思う。タクシー代で4万円使った日もあったし、1500円くらいのユンケルを一日最高6本飲んでいた。

 

 一番彼を追いつめていたのは2ちゃんねるだった。2ちゃんねるで叩かれて自殺(笑)と世間は笑うだろうけど実際に死んだのだから笑えないものだ。彼は当時批評家になることを諦めてプログラマー職業訓練に通っていたのだが、そこで出会ったひとたちに本名を検索されたらどうしようと勘ぐっていた。彼の名前は珍しかったのでGoogleで検索するとまずスレが出てくるし、そこには前科や悪い噂がたくさん書かれていたのは事実だ。

もうひとつ、やはり職業訓練が厳しかったのだろう。鬱病の頭ではプログラミングなんて入ってくるわけがない。でも「辞めたら?」とは言えなかった。彼に挫折感を与えたら余計死にたくなってしまいそうだから。

彼は批評界隈で有名だったが、意外なことに出所後哲学書を全部実家に送り返している。前科が出来たことで批評家への道が閉ざされたと思ったんだろう。これも彼を絶望させたと思う。

 

7月、彼はずっと鬱だった。カーテンを閉ざして真っ暗な部屋で、目が覚めたらジャックダニエルデパスを流し込んで寝るということを繰り返していた。7月後半からよく住んでいたマンションの10階に行くようになった。飛び降りの下見か飛び降りようとしていたのか、とにかくしょっちゅう行っていた。それでも隅田川の花火大会には一緒に行ってくれたし、記念日にはお祝いをした。調子が良い日にカラオケにも行った。最後に歌ったのは米津玄師のアイネクライネだと思う。すごく彼らしい曲だ。

 

8月に入ってから私たちは喧嘩をして、私は実家に帰っていた。私は鬱病の彼と暮らすことに疲れ果てていて、まともな医者にかかってまともな治療を受けてほしいと言ったが、彼は極度の精神科医不信だったから聞き入れなかった。しかし、鬱病の彼をひとりにしておくのはやはり心配だったので3日で帰った。今思えば帰らないほうが良かったのかもしれない。ひとりの方が楽だったのかもしれない。それからはずっと「ごめん、今から死んでくる」「愛してるなら死なせてくれ」「殺して、気が狂いそう」などの言葉を言われ続けた。少しでも死の感覚を味わえさせられるならと、彼の首を締めたことがあった。そのときの彼は無抵抗で安らかにすら見えたのでとても怖かった。

 

死ぬ前前日、私はクックドゥーで料理を作った。すごく美味しい!と喜んでくれて、毎日美味しいご飯を作ろうと思った。しかし死ぬ前日、とてつもなく不味いオムライスを作ってしまった。卵に牛乳を入れすぎて腐敗臭がした。彼にも「ごめん、これは食べられない」と言われた。真面目にこのとてつもなく不味いオムライスのせいで彼は死んでしまったんじゃないかといまでも思っている。オムライスはトラウマだ。

 

最期の夜、また死にたいようなことを言われたので「もうプライドも何もかも捨てて諦めなよ、全部諦めちゃえば楽になるよ」みたいなことを私は言った。彼はそれを聞いて、神聖かまってちゃんの死にたい季節の「ねえそうだろう 諦めると僕らは なぜか少し生きやすくなる」と口ずさんでいた。その後彼は伊集院光のラジオを聞きながら寝た。私は警察を呼んで、2ちゃんねるの書き込みのせいで恋人が自殺しそうだ、どうにか書き込みを消せないかと相談していた。まあ難しいんじゃないかと言われた、悲しいけど当たり前だ。

 

死ぬ直前、朝の5時くらいに起こされた。「煙草濡れてんだけど」と言われた。私は彼が自殺しないように彼より早く起きて彼が寝たのを確認して寝る生活を続けていたので疲れていたし眠かった。「あとで買いに行くから」と言って寝た。これが彼との最後の会話だった。

 

7時頃、インターホンが鳴った。昨日の警察官だった。「同居人はいますか?」「同居人がマンションの下で倒れていたので救急車で運ばれました」と言われた。咄嗟に外に出て下を見下ろしたら私が100円ローソンで買ったピンクのサンダルがふたつ、転がっていた。即座に察した。警察が調査したが、やはり10階から飛び降りて自殺したようだった。遺書はなかった。飛距離が長かったらしく、またドラッグをキメて飛んだんじゃないかと私まで疑われたけど検査の結果彼は素面だった。素面で10階から飛ぶなんて出来ると思っていなかったので驚いた。警察署に連れて行かれて、彼の母親が来て、遺体修復が終わった彼と対面した。昨日まで温かかった彼が冷たかった。顔がひんやりした。幸い頭や顔に損傷はなかったので綺麗な顔をしていた。

 

彼の遺書はなかったと言ったが、数日前の未遂で終わったときの遺書は残っている。

 

二度と目覚めたくない

死ぬしかない

死が一番の幸せ

 

魅力的な文を書いていた彼にしてはありきたりな遺書だなと思った。「人生はサヨナラだ」とかかっこいいこと言ってほしかった。そして何か私に一言残してほしかった。

 

最近、体感時間が遅い。一日がとても長い。彼と過ごしていた時間が半年なら今年の半年はまだ一日も経っていないんじゃないかと思う。私が求めていたのは彼が持っていたエキセントリックさとカリスマ性だったのか。でも、落ち着いていた頃の彼が何より大好きだったのは確かだ。彼ほど私を楽しませて驚かせて悲しませる人なんてどこにもいなくて、毎日大きな虚無に晒されている。

 

私は死者を引きずりたくない。死者に恋など出来ないし死者を語りたくない。それでも退屈な仕事をしていると頭をよぎるのは彼のことで、彼の人生や自殺したときの心境、生きていたらどうなっていたんだろう、様々なことを考え始める。死にたいとき、また考える。私と彼は家庭環境が似ていた。怒鳴る父に過保護な母。だから気持ちを痛いほど共有し合えたし、一緒に苦難を乗り越えて来た共同生命体のような気がしていた。その彼が死んでしまって私が生きていて、仮にも社会に適応しているのはとても不思議なことだと感じる。私の人生軸は彼が死ぬ前と彼が死んだ後でふたつに別れているのだ。

 

ほら、彼のことを考えているとすぐに時間が過ぎる。なんだかあの不味いジャックダニエルが飲みたくなってきた。