眩しい世界をもう一度愛したい

 メンヘラが発症してから何年経っただろう。数えるのも面倒くさいくらい歳をとった。自傷、恋愛依存は治って自殺未遂で救急搬送されることも減ったが、睡眠障害双極性障害は治らない。

 高校、大学時代は病みながらもそれなりに友達がいたのだが、健常者の友達に辛いときに辛いと言えない。私がパニック発作起こしながらへろへろで学校に到着すると、友達はずっと昨日の飲み会の話をしている。病気で出来ないことをクズキャラのふりをしてヘラヘラしてしまう。それが一種のトラウマになり、大学を中退してからは健常者の友達と一切会わなくなった。無職だったので合わせる顔もなかった。

 必然的に会うのはツイッターのメンヘラだけ。お薬パーティーをしてお酒とブロンを一気しながらみんなでスニッフ、脱法ハーブのお店でハーブを買ってから満喫でキメる。ろくなことをしなかった。辛いからってやっていいことと悪いことがあるんだよ!と当時の自分に言いたい。

 メンヘラ芸でフォロワーが増えていった私はアルファの人たちとも関わるようになる。結論、アルファはたいていやばい。ゴキブリで家を崩壊させるのはまだかわいい方で、法を犯しちゃうとやばい。実際私のツイッターで出会った彼氏は覚せい剤所持で逮捕された。そんな世界にいたのでますます一般人と会えなくなる。だって話題が警察、自殺、逮捕、閉鎖病棟入院、そんなことしか話せない。しかも無職だし(二回目)。

 そんな中で私の人間関係構築を変えたのは、無職メンヘラヤク中ギャンブル依存借金癖の彼氏だった。穏やかに付き合っていたものの別れ際が最悪だった。簡単に言うとママと喧嘩したから自殺する!死亡保険でお金返す!みたいなかんじだった。まず自殺で生命保険は降りない。そんなことも知らないの!?とドン引いた。そして元カレが本当に自殺したことがある私としては、自殺を仄めかす発言はトラウマが蘇って辛かった。一番許せなかったのは心配して大丈夫?と聞いたら「ママと仲直りしたから平気!」だった。ブチギレて別れた。

 付き合っていたときに「お互いそろそろ働かなきゃね〜」と話していたし、一人暮らしして同棲したかったので、私は別れたその日初めてハローワークに行っていた。いくらクズでも好きな部分もあったので、寂しい気持ちを全力で就活してごまかした。正社員にはなれなかったけど、なんとかパートとして働き始めることができた。働くのなんて二年ぶりくらいだった。

 そして正月に高校の同窓会に誘われた。話すネタ(仕事)が出来て社会のこともなんとなくわかった私は、本当に久しぶりに健常者に会うことが出来た。みんな優しく受け入れてくれた。昔に比べたら症状も良くなっていたので、辛いのを我慢してではなく純粋に楽しめた。それからはよく同級生たちと遊ぶようになって、逆にメンヘラと遊ばなくなった。私はもうそこまで死にたくないからメンヘラに「死にたいよねー」と言われても「うんそうだね〜(棒)」になってしまうのだった。あと単純に事件に巻き込まれたくない。

 健常者の友達と遊ぶようになって、みんなみたいに正社員で働きたい!キラキラしたい!という思いが強くなった。もう事件ばかり起こるどろどろした世界は嫌だ、普通の世界で生きたい、普通になりたい。そんな思いでこの一年頑張ってきた。まさにタイトルのような心境である。転職活動して12回面接で落とされて心が折れたので、妥協してまたパートで働いた。半年続いた。最初の一ヶ月は慣れない環境が苦しくて、不眠に不眠が続き、鬱状態になって電車に飛び出した。それでも頑張って続けた。

 ところが、わりと普通になったところで私が変わったと思うのは”流行の服を買えるようになる”だけだった。職歴も出来たし友達も増えた。でも私の気持ちをわくわくさせるような変化は”流行の服を変えるようになった”だけだった。無職なときは暇だったから働いたけど、働いていても退屈だった。職種柄のせいなのかもしれないが、仕事って私にとっては虚しいし退屈なのである。生活保護になってもブラック会社で働いても心の根底は変わらない気がしてしまう。何も満たされずにただ時間が過ぎて行くという点では一緒だと思う。

 服は良い。買ったばかりのかわいい服を着てお気に入りのリップをつけると、生きていることが少し楽しくなる。羽が生えたような軽い足取りで仕事に行くことができる。私の好きな服のブランドは少し高くて、無職じゃ一年に二、三着か、中古でしか買えない。安いぼろぼろの服を着てたら気分も沈む。そして流行の服を身につけていると、私は普通の人と同じ時の流れの中にいるんだ、引きこもって時が止まってた時とは違うんだ、と心底安心するのである。だから、私は来年も流行の服を買うためだけに働きたい。

 

同棲していた恋人が自殺した話

二年前、恋人が自殺してから私は長い長い退屈に襲われている。特に命日でも何でもないのにこの話をするのは暇だから。そしていつでも頭によぎるから。

 

彼が亡くなったのは8月14日。元々精神を病んでいた彼は5月に覚せい剤所持で逮捕、また6月に麻薬輸入容疑で不起訴になり二回目の出所をしてから、ずっと酷い鬱と不眠症に悩まされていた。かかっていた精神科はヤブで有名でいまは院長がリタリン依存で自殺してなくなったと言われている黒い病院。ハルシオンマイスリーロヒプノールエリミン、ベルソムラ大量に飲んでいたけど朝まで眠れない日がよくあった。そして異常に体力がなかった。留置所で体力が落ちたって言っていたけど、鬱の気力のなさだったんじゃないかといまでは思う。タクシー代で4万円使った日もあったし、1500円くらいのユンケルを一日最高6本飲んでいた。

 

 一番彼を追いつめていたのは2ちゃんねるだった。2ちゃんねるで叩かれて自殺(笑)と世間は笑うだろうけど実際に死んだのだから笑えないものだ。彼は当時批評家になることを諦めてプログラマー職業訓練に通っていたのだが、そこで出会ったひとたちに本名を検索されたらどうしようと勘ぐっていた。彼の名前は珍しかったのでGoogleで検索するとまずスレが出てくるし、そこには前科や悪い噂がたくさん書かれていたのは事実だ。

もうひとつ、やはり職業訓練が厳しかったのだろう。鬱病の頭ではプログラミングなんて入ってくるわけがない。でも「辞めたら?」とは言えなかった。彼に挫折感を与えたら余計死にたくなってしまいそうだから。

彼は批評界隈で有名だったが、意外なことに出所後哲学書を全部実家に送り返している。前科が出来たことで批評家への道が閉ざされたと思ったんだろう。これも彼を絶望させたと思う。

 

7月、彼はずっと鬱だった。カーテンを閉ざして真っ暗な部屋で、目が覚めたらジャックダニエルデパスを流し込んで寝るということを繰り返していた。7月後半からよく住んでいたマンションの10階に行くようになった。飛び降りの下見か飛び降りようとしていたのか、とにかくしょっちゅう行っていた。それでも隅田川の花火大会には一緒に行ってくれたし、記念日にはお祝いをした。調子が良い日にカラオケにも行った。最後に歌ったのは米津玄師のアイネクライネだと思う。すごく彼らしい曲だ。

 

8月に入ってから私たちは喧嘩をして、私は実家に帰っていた。私は鬱病の彼と暮らすことに疲れ果てていて、まともな医者にかかってまともな治療を受けてほしいと言ったが、彼は極度の精神科医不信だったから聞き入れなかった。しかし、鬱病の彼をひとりにしておくのはやはり心配だったので3日で帰った。今思えば帰らないほうが良かったのかもしれない。ひとりの方が楽だったのかもしれない。それからはずっと「ごめん、今から死んでくる」「愛してるなら死なせてくれ」「殺して、気が狂いそう」などの言葉を言われ続けた。少しでも死の感覚を味わえさせられるならと、彼の首を締めたことがあった。そのときの彼は無抵抗で安らかにすら見えたのでとても怖かった。

 

死ぬ前前日、私はクックドゥーで料理を作った。すごく美味しい!と喜んでくれて、毎日美味しいご飯を作ろうと思った。しかし死ぬ前日、とてつもなく不味いオムライスを作ってしまった。卵に牛乳を入れすぎて腐敗臭がした。彼にも「ごめん、これは食べられない」と言われた。真面目にこのとてつもなく不味いオムライスのせいで彼は死んでしまったんじゃないかといまでも思っている。オムライスはトラウマだ。

 

最期の夜、また死にたいようなことを言われたので「もうプライドも何もかも捨てて諦めなよ、全部諦めちゃえば楽になるよ」みたいなことを私は言った。彼はそれを聞いて、神聖かまってちゃんの死にたい季節の「ねえそうだろう 諦めると僕らは なぜか少し生きやすくなる」と口ずさんでいた。その後彼は伊集院光のラジオを聞きながら寝た。私は警察を呼んで、2ちゃんねるの書き込みのせいで恋人が自殺しそうだ、どうにか書き込みを消せないかと相談していた。まあ難しいんじゃないかと言われた、悲しいけど当たり前だ。

 

死ぬ直前、朝の5時くらいに起こされた。「煙草濡れてんだけど」と言われた。私は彼が自殺しないように彼より早く起きて彼が寝たのを確認して寝る生活を続けていたので疲れていたし眠かった。「あとで買いに行くから」と言って寝た。これが彼との最後の会話だった。

 

7時頃、インターホンが鳴った。昨日の警察官だった。「同居人はいますか?」「同居人がマンションの下で倒れていたので救急車で運ばれました」と言われた。咄嗟に外に出て下を見下ろしたら私が100円ローソンで買ったピンクのサンダルがふたつ、転がっていた。即座に察した。警察が調査したが、やはり10階から飛び降りて自殺したようだった。遺書はなかった。飛距離が長かったらしく、またドラッグをキメて飛んだんじゃないかと私まで疑われたけど検査の結果彼は素面だった。素面で10階から飛ぶなんて出来ると思っていなかったので驚いた。警察署に連れて行かれて、彼の母親が来て、遺体修復が終わった彼と対面した。昨日まで温かかった彼が冷たかった。顔がひんやりした。幸い頭や顔に損傷はなかったので綺麗な顔をしていた。

 

彼の遺書はなかったと言ったが、数日前の未遂で終わったときの遺書は残っている。

 

二度と目覚めたくない

死ぬしかない

死が一番の幸せ

 

魅力的な文を書いていた彼にしてはありきたりな遺書だなと思った。「人生はサヨナラだ」とかかっこいいこと言ってほしかった。そして何か私に一言残してほしかった。

 

最近、体感時間が遅い。一日がとても長い。彼と過ごしていた時間が半年なら今年の半年はまだ一日も経っていないんじゃないかと思う。私が求めていたのは彼が持っていたエキセントリックさとカリスマ性だったのか。でも、落ち着いていた頃の彼が何より大好きだったのは確かだ。彼ほど私を楽しませて驚かせて悲しませる人なんてどこにもいなくて、毎日大きな虚無に晒されている。

 

私は死者を引きずりたくない。死者に恋など出来ないし死者を語りたくない。それでも退屈な仕事をしていると頭をよぎるのは彼のことで、彼の人生や自殺したときの心境、生きていたらどうなっていたんだろう、様々なことを考え始める。死にたいとき、また考える。私と彼は家庭環境が似ていた。怒鳴る父に過保護な母。だから気持ちを痛いほど共有し合えたし、一緒に苦難を乗り越えて来た共同生命体のような気がしていた。その彼が死んでしまって私が生きていて、仮にも社会に適応しているのはとても不思議なことだと感じる。私の人生軸は彼が死ぬ前と彼が死んだ後でふたつに別れているのだ。

 

ほら、彼のことを考えているとすぐに時間が過ぎる。なんだかあの不味いジャックダニエルが飲みたくなってきた。

 

少女と私


 心地よい春の日差しの中、少女はピアノを奏でていた。その横では楕円型の少し年期の入った茶色のテーブルに少女の父、母が座り、うっとりと少女の指が鳴らす音色を聴いていた。少女が弾いているのはF.リストの名曲、ラ•カンパネラだ。経済的にも豊かな家庭で、両親に愛されて育ち、少女はなんの不自由もなく音楽に身を打ち込める幸福な日々を送っていた。
 家族が寝静まって閑散とした頃、少女は僅かに怯えていた。近頃毎晩のように悪夢を見るのである。同じ女性が叫んだり泣いたり喚いたり、惨劇ともいえる情景だ。少女は負の感情とは無縁であったし、なぜそのような悲惨な夢を見るのか見当もつかなかった。仕方なく今夜も震えながらベットに入り身をちぢこませ目を瞑るのである。

 

 割れた食器やグラスが散乱した部屋で私は目覚めた。もう昼の午後2時であった。そういえば昨夜は睡眠導入剤を大量服用して眠ったのだった。昨夜我が家に訪れると言っていた恋人が夜中の3時になっても来なかった。彼には「死ね」というメールを送った。
 この時間になっても連絡が返って来ない、浮気しているのではないか、見捨てられたのではないか、別れを告げられるのではないか、私は不安になる。こういうときはいつもF.リストのラ•カンパネラを聴くのだ。ラ•カンパネラは美しいだけではない、どこか力強さを兼ね備えている。
 しかしこの不安感はどうしようもない。私は適当な男に連絡を取ろうとした。恋人が去ろうとするのを察知すると、次の男をキープする。これが私のいつものやり方だ。だがふと思った。まるで寄生虫だ。私は部屋で一人空笑いした。男がいなければ私には何もない。空っぽなのだ。ここ数年、男をとっかえひっかえして、寄生虫のような人生だなあと思いながら携帯に目をやると、恋人からの連絡が来ていた。「別れたい」と。
 私は絶望の底に叩き付けられた。こういうときは必死に平常心を保とうとする。しかし続けて「他に好きな子が出来た、君のヒステリックにはもう耐えられない」と来る。確かに私はヒステリックだ。でもそれを受け止めてくれてこそ愛ではないのか?私には父親がいないため恋人には父親のような包容力を求めていたし、受け入れられていると思っていた。その後数回メールのやりとりをして通話をしたが、彼の意志は変わらず、私は悲しみと怒りで携帯を壁に叩き付けた。

 

 また悪夢を見た。恋人に別れを告げられたらしい。あの女性は何なのか?少女はうやむやしながら朝食のフレンチトーストを口に運んだ。父親が機嫌良くリビングのドアを開けながら「今日は買い物にでも行こう、発表会用のドレスも買わなきゃならんしな」と言った。この一家、というよりこの父は異常に娘に服を買い与える。少女も可愛い服が大好きだったので、にこやかに頷いた。

 

 私はマンションの八階に立っている。散々恋人に縋り付き、罵り尽くしたあげく着信拒否され、他の男達にも連絡をとったが誰も手を差し伸べてくれる人はいなかった。身を引き裂かれるほどの苦痛であった。コンビニで買った500mlの酒を一気に飲み干し、携帯でラ•カンパネラを流しながら死について考える。死ぬのはとても怖いから、せめて生まれ変わって幸せになれるとでも思わないと死ぬことなんて出来ない。ふと自分の格好を見ると、しまむらで買った可愛くもないセーターにぼろぼろのズボンだった。子供の頃から自分の着たい可愛い服なんて買ってもらえたことがなかった。もし生まれ変わったら、暖かい両親に愛されて、可愛い服を着せてもらって、あ、ピアノを習ってラ•カンパネラを弾きたいなあ、なんて想像したら少し楽しくなってきた。マンションのベランダの手摺りに手をかける。冬のベランダの手摺りはとても冷たい…


 少女はハッと目覚めた。そして全てを悟った。私は彼女の生まれ変わりなのだ、と。

 

終止符


「飛び降り自殺ですね」
中年の割腹の良い刑事が言った。
「マンションの8階のベランダから飛び降りた形跡と、机の上に遺書がありました」
こちらは新米刑事のようだ。
ここは港区の高級マンションが並ぶ閑静な住宅街だ。
「亡くなったのは女優の美園聡子さん。21歳。まだまだこれからだったのに残念ですね…」

 

聡子は駆け出しの女優だったものの、ニュースや各紙面で報道され話題になった。
聡子のマネージャーであった増田美奈子は連日マスコミに追い回され、疲労困憊していた。
ある晩、美奈子は息抜きに、と人目を避け行きつけの"Barミラノ"へ行った。
「マスター、いつものお願い」
「了解」
マスターは愛想良く応える。普段は仏帳面であるが笑うと口横にえくぼができるチャーミングなマスターである。
「もう大変よーマスコミに追い回されちゃって休める暇もないったら」
「お疲れさま。聡子ちゃんのこと、残念だったね」
「ああ、聡子はね…いつかああなると思っていたわ」
美奈子は遠い目をしながらこう洩らした。マスターはドリンクをカウンターにそっと置く。
「あの子、表に出る時はお人形みたいに大人しそうな顔してたけど、裏では散々…情緒不安定だったのよ。泣いたと思ったらいきなり怒り出したりしてね。そう、ヒステリック。『放っておいて!』っていうからその通りにしたら『なんで一人にするの!』なんて言われたりしたわ。男関係も酷くてねえ。社長に何度怒られたことか。あの子は一人でいられなかったのよ。あまりに不安定だからこの頃はこっそり精神科に通わせて精神安定剤睡眠薬を飲ませたりしたけどダメ。処方量を守らないでたくさん飲んじゃうんですもの。意識失って部屋で倒れてるのを見たときなんて血の気が引けたわ。でもねえ、放って置けなくて、いや、マネージャーとしてじゃなくてよ、母親のように頭を撫でて手を握ってやりたいと思った。まるでひとりぼっちの少女ようだったわ…」

 

翌日、"Barミラノ"には一人の青年が来ていた。彼は酷くやつれていた。元々背が高く細身で頼りなさげな風貌だった。

彼はすでに酔い潰れ、泣き崩れていた。マスターは静かに彼が嗚咽しながら語るのを聞いていた。
「聡子は…聡子は…俺のせいで死んだんです。あの日口論になって、ついカッとなって、お前なんてそこから飛び降りちまえ!だなんて…そのまま聡子を一人にして、俺は…」
マスターは静かに、彼が追加注文したドリンクをカウンターに置いた。
「お客さん、ほんの些細な一言が運命を変えてしまう、私には神様の悪戯としか思えませんよ。そうご自分をお責めにならないでくださいな」
青年は酒を一気に飲み干し語り続けた。涙は頬を覆ってやつれた顔をぐちゃぐちゃにしていた。
「聡子は…聡子は、とにかく一人でいられない女でね、聡子を放って俺が一人で出掛けでもしたらすぐどこかの男と寝てました。だから会社も辞めました。最近じゃ聡子は薬と酒漬けの毎日だったからつきっきりで面倒を見てました。聡子は出会った頃から荒んでいて、飲み歩いては知らない男と寝てましたよ。顔がいいから相手はいくらでもいるんです。聡子は、安定しているときは可愛らしくて無邪気で思いやり溢れる魅力的な女性でした。ですから聡子をなんとか救ってあげたくて、本当の聡子に戻してやりたくて、全てを捨てて、身を削る思いで尽くしてきました。でも俺にも限界ってものがあって、実は、聡子とは亡くなる数日前に別れてたんです。それはもう悲しくて悲しくて普段吸わない煙草なんてものを吸ったりしましたよ。ところが、聡子の家にあった荷物を取りに行ってみたらもう別の男がデキていて、それもまたヤクザと繋がりがあるとかいうダメな男でした。そんな男と付き合って幸せになれると思います?堕ちていくだけでしょう。俺の今までの聡子を救いたいという一心でやってきた苦労と努力は一体なんだったんですかね?全くの水の泡じゃないですか!だからついカッとなって、あんなことを…」

 

一週間後、"Barミラノ"には一人の女性客が来ていた。スーツを着たキャリアウーマンといった物静かな雰囲気の女性だった。
「マスター、聡子、知ってます?先日亡くなった女優の」
ブラッディメアリーを口にしながら落ち着いた口調で彼女は尋ねた。
「ええ、ええ、知ってますよ」
相変わらずチャーミングなえくぼを作りながらマスターは応える。彼女は続けた。
「彼女は私の学生時代からの友人だったんです。最近は電話でときどき話す程度だったけれど、それも聡子が寂しいときの寂しさしのぎの相手としてね」
「それはそれは…今回のこと、お辛いでしょうねえ」
彼女は悲哀に満ちた様子でしばらく黙った後、口を開いた。
「辛いですよ。三日間、食事も喉を通りませんでしたから。まさか本当に死ぬなんてね。昔から『今から死ぬ!』って電話が来て、駆けつけたら何ともなかったなんてことが何回もありましたからね。それでいて心配などしてあげてみたら『放っておいてよ!』って言うんです。そうやって周りの友人はどんどん離れて行くんですよ」
「ずいぶんお騒がせなお方でしたな」
彼女は肩をすくめて苦笑いした。
マスターは注文されたセロリとイカのマリネをカウンターに出した。
「本気だったのか構って欲しかっただけなのかはわかりませんけどね。聡子は自ら突き放しても突き放しても、追ってきて欲しかったんですよ、きっと。そのくせこっちが呆れて離れて行こうとすると、ひたすら『ごめんねごめんね…』って捨てられた猫みたいな顔して縋ってくるんです。参っちゃいますよね」
「人、に何かを求めてたんでしょうなあ」
彼女は出されたセロリとイカのマリネを口にする。
しばらくして、急に物憂げな顔をしながら彼女は語り始めた。
「あの夜、聡子から電話があったんです。『もう死ぬ』と。もちろんまたか、と思いましたよ。でも今回は本気でした。いや、今までもずっと本気だったのかもしれませんね。聡子は『どれだけ男と寝ても、たくさんのファンが居ても、お金がいっぱいあっても、私はいつも孤独で虚しかった。満たされないものを埋めようともがき続けた。私のその身勝手な振る舞いでみんな離れて行ったわ。もう私の居場所はどこにもない。これ以上大切な人を失いたくないの。醜い私の姿を晒し続けたくないの。だから、全て終わりにする』って泣きながら話していました。聡子は自分がコントロールできなかったけれど頭が良かったから、自分の姿を客観視できていたんですよ。あの元カレの言葉も聞いたけれど、あれはきっかけに過ぎなかったと思いますね」
彼女はそう言って黙り込んでしまった。店内は二人きりだった。
しばらくしてマスターは神妙な顔つきで静かに口を開いた。
「人間には、人生に自ら終止符を打つ権利があるのでしょうかねえ?」