私の発達障害の話

 ツイッターでは発達障害界隈なんてものが出来て、コンサータを処方されたら優勝!のような流れがあるが、私も発達障害である。診断はADHDの不注意優位型だ。

 私は子供の頃から父親にとにかくトロいと怒られていた。自覚はないのだが、動作も喋り方もトロいらしい。「おっとりしてるね」とよく言われる。ADD(不注意優位型)の特徴だというのはつい最近知った。いまでは「おっとりしてるね」と言われても嬉しくなくなってしまった。ADDの証なのだから。おっとりした喋り方は社会的にも不利だ。面接で聞かれたことがあるのは「人前で話すこともありますがそのときはハキハキ喋れますか?」「電話を出るときは話し方変わりますか?」「おっとりしてますが忙しい仕事についていけますか?」など。私的には普通に、というか面接なのでハキハキ喋っているつもりだった。なのにこの言われようは泣けてくる。この喋り方が原因で社会的に使えないと思われて、何社も落とされているのかもしれないと思うととても辛い。

 際立って異常なのは部屋が片付けられないことだ。小学生の頃から机の中身が汚い。高校生になってもロッカーの中身が汚い。部屋は一人暮らしを始めてから散々なことになった。来訪者があるときは必死に片付けてそれなりにインテリアにもこだわっていたが、鬱になって二週間引きこもったりするともう酷い。ベッドの上だけは寝れるように綺麗にしているのだが、ベッドまでゴミに浸食されたので丸まって寝ていた。なんでゴミを捨てなかったのかはわからない。言い訳をすると、知能検査で私は空間把握能力が乏しいと言われた。運転したら即事故るやつだ(免許は持っていない)。立体感が掴めないんだと思う。物を見つけ出すのが難しいと検査結果に書かれていたし、実際家でも「○○どこ〜!?」芸人だ。あと、汚い部屋を汚いと認識出来ない。生活に支障が出始めてからようやく不快感を感じて片付けなければと思う。コンサータはすごい。飲んだら散らかってるものが気になってすぐに片付けることが出来た。でも薬効が切れた瞬間また散らかし始めたから意味がなかったし、副作用が酷くてやめた。ストラテラを飲みながら部屋を片付けるときだけコンサータを飲めないか、今度主治医に相談してみようと思う。

 そんな汚部屋住人だが一度だけ部屋の綺麗を保てた時期があった。流行になった本、”人生がときめく片付けの魔法”を試しに中古で買って読んでみたのだ。最後までは読んでいないけどとにかく断捨離!と書いてあるのを受けて、物を捨てまくった。そうしたらなんと散らかる物自体がなくなったので部屋の綺麗を保てるようになったのだ。ちなみに今はもうだめ。働いて大量に浪費したから物が溢れている。

 私の父親も父型の祖母も汚部屋住民だ。父親とは別居してるが母親は父親の家に全く行かない。とんでもなく汚くて畳にウジ虫がいるらしい。ひとりで3LDKに住んでどうしてそうなるのかわからない。祖母は酷かった。一軒家をまるまる潰した。一度片付けに行ったけど足の膝辺りまで雑誌やら本やらが積んであって、歩くところだけ層が薄くなっている。雪道みたいな。二階は上がれなかった。何があったのかわからないけど、ハウスクリーニングではどうにもならなかったので取り壊された。衝撃というかトラウマである。ああはなりたくないと思うが、現に片付けられないので完全に遺伝している。

 これはありがちだが、子供の頃から忘れ物やうっかりミスが酷かった。メモしても鞄に入れるのを忘れたり、明日は体育だから体育ズボンを持って行かなきゃ!と思いながら忘れたことが何回もある。高校のときは体育ズボン忘れ芸人になっていた。私は留年していたので一つ下の学年の授業を受けていたのだけど、忘れ物をするともう本当にしんどい。全く見知らぬ人に「忘れたので見せて下さい…」を一週間に一度はやっていたから神経がかなりすり減った。決定的に自分がどこか抜けているではすまないことに気が付いたのはアルバイトを始めたときだ。宅配のチラシにお店の電話番号のシールを私が作ってみんなで貼っていたのだが、半分くらい貼ったところで電話番号が間違っていることに気づいた。真っ青である。店長は「投函完了!」とゴミ箱にチラシを投げ入れていたので死ぬほど謝った。そして鬼門のレジ。五千円札と一万円札を間違える、毎回5円くらい合わない。レジに入って金額が合ったのと合わなかったのは、半分半分くらいだった気がする。暴言は吐かれたことはなかったがパワハラ店長だったので、無視、睨むなどの威圧が酷かった。とにかく謝るしかなかったのでとにかく謝った。おかげさまで肝が座った気がするが、かなりのトラウマになり、ストラテラを飲み始めるまで社会に出れなかった。仕事をする面でストラテラは安心材料になっている。

 最後にいま悩んでいること。私は小学生の頃からピアノとフルートをやっていた。全てが先延ばし癖のせいだとは言わないが、まっっっったく練習しなかった。それなのでもちろん上達しない。大学まで続けたけど致命的なミスだったと思う。いまも先延ばし癖に悩んでいる。聞きたいドラマCDが30枚くらいあるし暇だから聞けば良いのになんか面倒くさい。見たいアニメも見る見る詐欺。わりと健常者にもあることらしいけどなんとかならないんですかね。

 私の動作性IQは75、言語性IQは98、平均IQ87。知的障害のグレーゾーンぎりぎりである。確かに頭の回転が悪いし記憶力もない。なにより男に騙されやすかったり、おじさんの愛人になっちゃう辺りは知的障害の女の人によくあるらしく、かなり心当たりが合った。それでもストラテラを飲み始めて朝起きれるようになったり、忘れ物が減ったり、人の話に集中できるようになったりして徐々に社会復帰しつつある。またコンサータをいれてみたり、生きやすくなる術をたくさん研究したい。何よりゴミ屋敷おばさんになってゴミに埋もれて死にたくないので、ADHDと時には共に生き、時には戦いながら私はこれからも生きていこうと思う。

眩しい世界をもう一度愛したい

 メンヘラが発症してから何年経っただろう。数えるのも面倒くさいくらい歳をとった。自傷、恋愛依存は治って自殺未遂で救急搬送されることも減ったが、睡眠障害双極性障害は治らない。

 高校、大学時代は病みながらもそれなりに友達がいたのだが、健常者の友達に辛いときに辛いと言えない。私がパニック発作起こしながらへろへろで学校に到着すると、友達はずっと昨日の飲み会の話をしている。病気で出来ないことをクズキャラのふりをしてヘラヘラしてしまう。それが一種のトラウマになり、大学を中退してからは健常者の友達と一切会わなくなった。無職だったので合わせる顔もなかった。

 必然的に会うのはツイッターのメンヘラだけ。お薬パーティーをしてお酒とブロンを一気しながらみんなでスニッフ、脱法ハーブのお店でハーブを買ってから満喫でキメる。ろくなことをしなかった。辛いからってやっていいことと悪いことがあるんだよ!と当時の自分に言いたい。

 メンヘラ芸でフォロワーが増えていった私はアルファの人たちとも関わるようになる。結論、アルファはたいていやばい。ゴキブリで家を崩壊させるのはまだかわいい方で、法を犯しちゃうとやばい。実際私のツイッターで出会った彼氏は覚せい剤所持で逮捕された。そんな世界にいたのでますます一般人と会えなくなる。だって話題が警察、自殺、逮捕、閉鎖病棟入院、そんなことしか話せない。しかも無職だし(二回目)。

 そんな中で私の人間関係構築を変えたのは、無職メンヘラヤク中ギャンブル依存借金癖の彼氏だった。穏やかに付き合っていたものの別れ際が最悪だった。簡単に言うとママと喧嘩したから自殺する!死亡保険でお金返す!みたいなかんじだった。まず自殺で生命保険は降りない。そんなことも知らないの!?とドン引いた。そして元カレが本当に自殺したことがある私としては、自殺を仄めかす発言はトラウマが蘇って辛かった。一番許せなかったのは心配して大丈夫?と聞いたら「ママと仲直りしたから平気!」だった。ブチギレて別れた。

 付き合っていたときに「お互いそろそろ働かなきゃね〜」と話していたし、一人暮らしして同棲したかったので、私は別れたその日初めてハローワークに行っていた。いくらクズでも好きな部分もあったので、寂しい気持ちを全力で就活してごまかした。正社員にはなれなかったけど、なんとかパートとして働き始めることができた。働くのなんて二年ぶりくらいだった。

 そして正月に高校の同窓会に誘われた。話すネタ(仕事)が出来て社会のこともなんとなくわかった私は、本当に久しぶりに健常者に会うことが出来た。みんな優しく受け入れてくれた。昔に比べたら症状も良くなっていたので、辛いのを我慢してではなく純粋に楽しめた。それからはよく同級生たちと遊ぶようになって、逆にメンヘラと遊ばなくなった。私はもうそこまで死にたくないからメンヘラに「死にたいよねー」と言われても「うんそうだね〜(棒)」になってしまうのだった。あと単純に事件に巻き込まれたくない。

 健常者の友達と遊ぶようになって、みんなみたいに正社員で働きたい!キラキラしたい!という思いが強くなった。もう事件ばかり起こるどろどろした世界は嫌だ、普通の世界で生きたい、普通になりたい。そんな思いでこの一年頑張ってきた。まさにタイトルのような心境である。転職活動して12回面接で落とされて心が折れたので、妥協してまたパートで働いた。半年続いた。最初の一ヶ月は慣れない環境が苦しくて、不眠に不眠が続き、鬱状態になって電車に飛び出した。それでも頑張って続けた。

 ところが、わりと普通になったところで私が変わったと思うのは”流行の服を買えるようになる”だけだった。職歴も出来たし友達も増えた。でも私の気持ちをわくわくさせるような変化は”流行の服を変えるようになった”だけだった。無職なときは暇だったから働いたけど、働いていても退屈だった。職種柄のせいなのかもしれないが、仕事って私にとっては虚しいし退屈なのである。生活保護になってもブラック会社で働いても心の根底は変わらない気がしてしまう。何も満たされずにただ時間が過ぎて行くという点では一緒だと思う。

 服は良い。買ったばかりのかわいい服を着てお気に入りのリップをつけると、生きていることが少し楽しくなる。羽が生えたような軽い足取りで仕事に行くことができる。私の好きな服のブランドは少し高くて、無職じゃ一年に二、三着か、中古でしか買えない。安いぼろぼろの服を着てたら気分も沈む。そして流行の服を身につけていると、私は普通の人と同じ時の流れの中にいるんだ、引きこもって時が止まってた時とは違うんだ、と心底安心するのである。だから、私は来年も流行の服を買うためだけに働きたい。

 

 

※記事タイトルはkalafinaLacrimosa

同棲していた恋人が自殺した話

二年前、恋人が自殺してから私は長い長い退屈に襲われている。特に命日でも何でもないのにこの話をするのは暇だから。そしていつでも頭によぎるから。

 

彼が亡くなったのは8月14日。元々精神を病んでいた彼は5月に覚せい剤所持で逮捕、また6月に麻薬輸入容疑で不起訴になり二回目の出所をしてから、ずっと酷い鬱と不眠症に悩まされていた。かかっていた精神科はヤブで有名でいまは院長がリタリン依存で自殺してなくなったと言われている黒い病院。ハルシオンマイスリーロヒプノールエリミン、ベルソムラ大量に飲んでいたけど朝まで眠れない日がよくあった。そして異常に体力がなかった。留置所で体力が落ちたって言っていたけど、鬱の気力のなさだったんじゃないかといまでは思う。タクシー代で4万円使った日もあったし、1500円くらいのユンケルを一日最高6本飲んでいた。

 

 一番彼を追いつめていたのは2ちゃんねるだった。2ちゃんねるで叩かれて自殺(笑)と世間は笑うだろうけど実際に死んだのだから笑えないものだ。彼は当時批評家になることを諦めてプログラマー職業訓練に通っていたのだが、そこで出会ったひとたちに本名を検索されたらどうしようと勘ぐっていた。彼の名前は珍しかったのでGoogleで検索するとまずスレが出てくるし、そこには前科や悪い噂がたくさん書かれていたのは事実だ。

もうひとつ、やはり職業訓練が厳しかったのだろう。鬱病の頭ではプログラミングなんて入ってくるわけがない。でも「辞めたら?」とは言えなかった。彼に挫折感を与えたら余計死にたくなってしまいそうだから。

彼は批評界隈で有名だったが、意外なことに出所後哲学書を全部実家に送り返している。前科が出来たことで批評家への道が閉ざされたと思ったんだろう。これも彼を絶望させたと思う。

 

7月、彼はずっと鬱だった。カーテンを閉ざして真っ暗な部屋で、目が覚めたらジャックダニエルデパスを流し込んで寝るというのをを繰り返していた。7月後半からよく住んでいたマンションの10階に行くようになった。飛び降りの下見か飛び降りようとしていたのか、とにかくしょっちゅう行っていた。それでも隅田川の花火大会には一緒に行ってくれたし、記念日にはお祝いをした。調子が良い日にカラオケにも行った。最後に歌ったのはハチのアイネクライネだと思う。すごく彼らしい曲だ。

 

8月に入ってから私たちは喧嘩をして、私は実家に帰っていた。私は鬱病の彼と暮らすことに疲れ果てていて、まともな医者にかかってまともな治療を受けてほしいと言ったが、彼は極度の精神科医不信だったから聞き入れなかった。しかし、鬱病の彼をひとりにしておくのはやはり心配だったので3日で帰った。今思えば帰らないほうが良かったのかもしれない。ひとりの方が楽だったのかもしれない。それからはずっと「ごめん、今から死んでくる」「愛してるなら死なせてくれ」「殺して、気が狂いそう」などの言葉を言われ続けた。少しでも死の感覚を味わえさせられるならと、彼の首を締めたことがあった。そのときの彼は無抵抗で安らかにすら見えたのでとても怖かった。

 

死ぬ前前日、私はクックドゥーで料理を作った。すごく美味しい!と喜んでくれて、毎日美味しいご飯を作ろうと思った。しかし死ぬ前日、とてつもなく不味いオムライスを作ってしまった。卵に牛乳を入れすぎて腐敗臭がした。彼にも「ごめん、これは食べられない」と言われた。真面目にこのとてつもなく不味いオムライスのせいで彼は死んでしまったんじゃないかといまでも思っている。オムライスはトラウマだ。

 

最期の夜、また死にたいようなことを言われたので「もうプライドも何もかも捨てて諦めなよ、全部諦めちゃえば楽になるよ」みたいなことを私は言った。彼はそれを聞いて、神聖かまってちゃんの死にたい季節の「ねえそうだろう 諦めると僕らは なぜか少し生きやすくなる」と口ずさんでいた。その後彼は伊集院光のラジオを聞きながら寝た。私は警察を呼んで、2ちゃんねるの書き込みのせいで恋人が自殺しそうだ、どうにか書き込みを消せないかと相談していた。まあ難しいんじゃないかと言われた、悲しいけど当たり前だ。

 

死ぬ直前、朝の5時くらいに起こされた。「煙草濡れてんだけど」と言われた。私は彼が自殺しないように彼より早く起きて彼が寝たのを確認して寝る生活を続けていたので疲れていたし眠かった。「あとで買いに行くから」と言って寝た。これが彼との最後の会話だった。

 

7時頃、インターホンが鳴った。昨日の警察官だった。「同居人はいますか?」「同居人がマンションの下で倒れていたので救急車で運ばれました」と言われた。咄嗟に外に出て下を見下ろしたら私が100円ローソンで買ったピンクのサンダルがふたつ、転がっていた。即座に察した。警察が調査したが、やはり10階から飛び降りて自殺したようだった。遺書はなかった。飛距離が長かったらしく、またドラッグをキメて飛んだんじゃないかと私まで疑われたけど検査の結果彼は素面だった。素面で10階から飛ぶなんて出来ると思っていなかったので驚いた。警察署に連れて行かれて、彼の母親が来て、遺体修復が終わった彼と対面した。昨日まで温かかった彼が冷たかった。顔がひんやりした。幸い頭や顔に損傷はなかったので綺麗な顔をしていた。

 

彼の遺書はなかったと言ったが、数日前の未遂で終わったときの遺書は残っている。

 

二度と目覚めたくない

死ぬしかない

死が一番の幸せ

 

魅力的な文を書いていた彼にしてはありきたりな遺書だなと思った。「人生はサヨナラだ」とかかっこいいこと言ってほしかった。そして何か私に一言残してほしかった。

 

最近、体感時間が遅い。一日がとても長い。彼と過ごしていた時間が半年なら今年の半年はまだ一日も経っていないんじゃないかと思う。私が求めていたのは彼が持っていたエキセントリックさとカリスマ性だったのか。でも、落ち着いていた頃の彼が何より大好きだったのは確かだ。彼ほど私を楽しませて驚かせて悲しませる人なんてどこにもいなくて、毎日大きな虚無に晒されている。

 

私は死者を引きずりたくない。死者に恋など出来ないし死者を語りたくない。それでも退屈な仕事をしていると頭をよぎるのは彼のことで、彼の人生や自殺したときの心境、生きていたらどうなっていたんだろう、様々なことを考え始める。死にたいとき、また考える。私と彼は家庭環境が似ていた。怒鳴る父に過保護な母。だから気持ちを痛いほど共有し合えたし、一緒に苦難を乗り越えて来た共同生命体のような気がしていた。その彼が死んでしまって私が生きていて、仮にも社会に適応しているのはとても不思議なことだと感じる。私の人生軸は彼が死ぬ前と彼が死んだ後でふたつに別れているのだ。

 

ほら、彼のことを考えているとすぐに時間が過ぎる。なんだかあの不味いジャックダニエルが飲みたくなってきた。

 

二年間の無職生活から脱出して障害者雇用で働きだした話

 無職生活を脱出して8月から障害者雇用で働き始めました。境界性パーソナリティ障害と注意欠陥障害持ちの精神障害者です。

 

無職だった期間は二年間、さらに二年前の職業はキャバ嬢だったので職歴に書けるような仕事をするのは高校生ぶり。

空白の二年間何をしていたかというと、ツイートを読んでくれてる人なら知ってると思うけど、精神薬を飲みまくり、腕を切りまくり、自棄になって遊びまくり、精神病院に入院し、挙げ句の果てに自殺未遂の後遺症で片腕が麻痺して動かなくなり、そのあとは引きこもって寝てました。

バイトをしようと試みたりも何回かしたけど、全部一日で辞めました。(対人恐怖症や社会不安障害のような症状があったので、仕方ないと言ったら仕方なかったのだけれど)

そんな状態からよし!働こう!と思った一番の理由は精神が良くなってきて暇だったから。

精神病んでるときって暇を感じないんですよね。死にたいとか辛いとかで精一杯で暇を感じる余裕がない。

あと趣味とお金があるひとは永遠に無職出来ると思います。それは無職の才能です。

 

障害者雇用についてですが、まずハローワークに行きました。

ハロワの人に怒られたなんて話をよく聞くので若干怖かったのですが、

障害者専用窓口の担当のおじさんがすごく優しかった。「パソコン使えます」って言うだけで褒めてくれる。

まず障害者雇用と言うと、労働難易度の低い主に単純作業を行う就労継続支援A型とかB型があるのですが(詳しくわからないので知りたい人はググってください)、私は前述した腕の麻痺障害があり、手を酷使する単純作業が出来ないのでそれらは視野に入れずに企業での事務求人を探してもらいました。

障害者雇用は賃金が安いとか言われているけど、それなりの給与の求人もあったのであまり感じなかった。

あと障害者雇用というとすごくジメジメしたイメージがあったのですが、誰もが知ってる有名企業や証券会社、銀行などの求人があってびっくりしました。

それらの有名どころに働けたらかっこいいと思って一応応募したのですが、倍率が高い。私が応募したところは6倍〜17倍。そして全部書類選考で落ちました。

精神障害者は通りにくいとよく聞くし、何せ職歴の空白と大学中退2回がありましたからね。

結局、唯一書類選考が通ったのがいま勤めてる会社でした。フルタイムではなくパートでの募集です。

 

面接対策として、障害者枠での面接で何を聞かれるか調べると、病名、いつ発症してどうなったかなどの今までの経緯、今の状態などが聞かれた体験として載っていたので、そんなこと話したくねえ〜と思いながら一応考えて準備しました。

でも、「注意欠陥障害があり不注意によるミスがあると思うのですが許容してほしい」なんて言えない。注意欠陥がありますって伝えるのって、仕事ができませんって言ってるようなものしゃないですか

企業はいつどうなるかわからない精神障害者より、精神が健常な身体障害者を採るに決まってるだろう!と思ったり、色々葛藤しました。

 

どきどきしながら面接当日、障害について聞かれたことは「何か働く上で配慮してほしいことはありますか?」だけ。

私は「具合が悪くなったときに頓服を飲ませてほしいです」と答えたのですが、「それ以外に私たちにしてほしいことはありますか?」とさらに聞かれたので、「薬を飲めば治るので放っておいてほしい、万が一倒れて目覚めなかったら救急車を呼んで下さい」みたいなことをやんわり伝えました。

驚いたのは面接担当の方に「具合が悪くなったりしたら遠慮なく休んだり早退していいですからね」と言われたこと。コンビニや飲食店のバイトだと「絶対休んじゃダメ!風邪引いてても出勤して!」ってかんじじゃないですか。

あと一般雇用ではおそらく突っ込まれるであろう職歴の空白や大学中退についても「療養していました」でわかってもらえるので、気楽で良かった。

結果、採用!無事働き始めたのでした。

 

働いていて感じる障害者枠での就業での特徴は

•調子が悪くて休んでも怒られない

•休み明けに出勤してもさらに「調子悪かったら休んでいいですからね」と言われる

•社員さんやパートの方は障害者枠なことを知らないので変に気を使われたり差別を受けたりすることなどはない(その代わり配慮もない)

•人事部の方が毎週様子を聞きにきてくれて親切に接してもらえる

仕事がめちゃくちゃ楽

※障害者雇用での労働環境は就労先によって個人差があると思うので参考程度にして下さい。

 

仕事内容は身バレが怖いので書きませんが、仕事めちゃくちゃ楽です。

一緒に働いているパートさんとはほとんど同じ仕事内容だけど電話対応がないので電話苦手な私にはかなり助かります。

 

毎日外に出る練習を一ヶ月くらいしていたせいか、身体的にきつくもなく、ストラテラを飲んでるおかげで深刻なミスもなく(一回報告ミスしてクビになったらどうしよう!って大騒ぎしましたが)、対人恐怖症や社会不安障害の症状もなく、なんとか働けています。

私は働いてるときの方が何にも考えなくてすむので、鬱が重いとき以外は無職しているより精神的に良いです。逆にもっと早く働いていれば良かった

無職引きこもりで全然人間と話をしていなかったので、最初は話しかけられると頭真っ白になって声がでなかったです。アッアッ状態でした。一ヶ月働いてようやく笑顔で話せるようになってきました。いわゆるビジネスマナーも全然わからないし怖いけど、えいっ!と覚悟を決めて取り組んでなんとか乗り切ってます。

 

職歴に書けるように三ヶ月は続けるつもりだけど、その前に辞めたりクビになったりしたらめちゃくちゃネタにしてツイートするので100ファボと生活費下さい。